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横浜造船所を造った明治のジャーナリスト・栗本瀬兵衛鋤雲

新しい時代・明治をつくった幕末人たち #011

日仏の関係構築に尽力し、横須賀ドックを建設

栗本らが建造をすすめた横須賀ドックは、当時一漁村であった神奈川県横須賀市に予定されていた。写真は現在の横須賀市。

 栗本瀬兵衛鋤雲(くりもとせへえじょうん)は徳川幕府倒壊直前の親フランス派のトップであり、明治以降はジャーナリストとして郵便報知新聞の編集に携わり、成島柳北・福地源一郎(桜痴)と共に名記者として知られた。

 

 鋤雲は、幕府御殿医の子として生まれた。母は、あの「鬼平(長谷川宣以)」の姪である。30代で箱舘奉行組頭に左遷され、樺太・千島などを探索・探検。江戸に戻ってからは昌平坂学問所頭取・目付となる。箱舘時代のフランス公使・ロッシュの通訳であったカルションと交際があり、ロッシュとも親しくなった。幕府は、フランスとの橋渡し役として鋤雲を外国奉行に登用。慶応3年(1867)のパリ万博にも随行している。この随行中に大政奉還を知り、翌年帰国した。

 

 それ以前に、幕府勘定奉行や海軍奉行であった小栗上野介忠順との親交もあった。小栗は「日本の近代化には製鉄所(造船所)が必要」と主張。横須賀ドック建設を計画した。計画実施のために、フランスから多額(現在の約330億円)の借金を行い、この施工監督に鋤雲を任命した。鋤雲は小栗の期待に応えた。鋤雲は小栗に対して「明治の父」という意識を持ち続けたという。

 

 明治維新後の鋤雲は新政府には仕えず、新聞記者になった。和漢の学問・教養は第1等の人物であり、風貌は秀才肌でなく豪放磊落・腹に一物なしの鋤雲は、直参が生んだ武士の代表者でもあった。明治30年(1897)死去。享年75であった。

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江宮 隆之えみや たかゆき

1948年生まれ、山梨県出身。中央大学法学部卒業後、山梨日日新聞入社。編制局長・論説委員長などを経て歴史作家として活躍。1989年『経清記』(新人物往来社)で第13回歴史文学賞、1995年『白磁の人』(河出書房新社)で第8回中村星湖文学賞を受賞。著書には『7人の主君を渡り歩いた男藤堂高虎という生き方』(KADOKAWA)、『昭和まで生きた「最後のお殿様」浅野長勲』(パンダ・パブリッシング)など多数ある。

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