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最後の将軍・徳川慶喜を叱った大名・堀直虎【前編】

新しい時代・明治をつくった幕末人たち #008


幕末の偉人として、現代でもその名が知られる人物は多い。その中の一人である、江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜に対して、責任を問い詰めた大名が存在する。将軍に対して堂々たる態度を貫いた須坂藩の大名・堀直虎の足跡について解説していく。


 

藩政改革が叫ばれる天保時代に生まれ育つ

ハーバード大学の教授が最も興味ある日本人として紹介する堀直虎。西洋と日本の良い部分をバランス良く備えた指導者だと評価されている。イラスト/さとうただし

 直虎といえば、先年の大河ドラマ『女城主・直虎』の主人公だった戦国女性・井伊直虎を思い浮かべる人が多いだろう。それほどに、幕末の小大名「堀直虎(ほりなおとら)」は知られていない。

 

 だが、アメリカのハーバード大学で日本史教室を担当するデーヴィッド・パウエル教授が最も興味があって学生たちにも教えている幕末期の人物が大名・堀直虎だという。教授は、若くてダイナミックなリーダーであり、西洋に心酔しながら武士としての責任を全うして生きたという「新しさと伝統が共存している」ことに魅了されているという。

 

 堀直虎は、信州・須坂藩の殿様である。須坂藩は僅か1万53石(1万石以上が「大名」の条件であるから、ぎりぎりの「大名家」)という小藩であった。このような小藩の1大名が、慶応4年(1868)1月に、大政奉還し鳥羽伏見の敗戦で逃げ戻った徳川15代将軍・慶喜が開いた江戸城での大評定(諸侯会議)の席上、慶喜を叱責し、そのうえで「武士の責任の取り方を教えましょう」と、その日のうちに江戸城内で切腹した大名である。

 

 幕末に、将軍の責任(大政奉還)を問い、江戸城内で自刃して果てた大名は直虎だけであるというのに、近年まで全く知られていなかった。その意味でも、堀直虎もまた長い時間にわたり歴史に埋もれてしまっていた人物である。

 

 直虎は天保7年(1836)8月、須坂藩・江戸下屋敷で11代藩主・直格(なおただ)の5番目の子として誕生。因みに同じ年の生まれには天璋院篤姫(てんしょういんあつひめ)・山岡鉄舟(やまおかてっしゅう)・小松帯刀(こまつたてわき)・榎本武揚(えのもとたけあき)などがおり、前年6年には坂本龍馬・松平容保(まつだいらかたもり)・井上馨(いのうえかおる)などが、さらに翌年8年には徳川慶喜などがいる。

 

 直虎が生まれた頃は、老中・水野忠邦による「天保の改革」の時期であるが、(須坂藩を含む)日本各地が飢饉などで疲弊し、藩政改革の必要性が叫ばれた時代であった。寧若(やすわか)・寧之進と呼ばれていた幼児期・少年期の直虎は、多くの師匠に付いて四書五経から書道・武道・絵画まで学んだ。特に儒教の教え「五常の徳(仁・義・礼・智・信)」に興味を持ち、中でも「義」を尊ぶようになっていた。

 

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過去記事

江宮 隆之えみや たかゆき

1948年生まれ、山梨県出身。中央大学法学部卒業後、山梨日日新聞入社。編制局長・論説委員長などを経て歴史作家として活躍。1989年『経清記』(新人物往来社)で第13回歴史文学賞、1995年『白磁の人』(河出書房新社)で第8回中村星湖文学賞を受賞。著書には『7人の主君を渡り歩いた男藤堂高虎という生き方』(KADOKAWA)、『昭和まで生きた「最後のお殿様」浅野長勲』(パンダ・パブリッシング)など多数ある。

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