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江戸城開城の直前に自刃した国際派幕臣・川路聖謨

新しい時代・明治をつくった幕末人たち #010

激動の幕末に全権代表としてアメリカ・ロシアとの外交を担当 

ロシアのプチャーチンが開国要求のため来航した長崎。川路はここで大国との困難な外交交渉を担当した。

 川路聖謨(かわじとしあき)は豊後日田(大分県日田市)生まれ。本姓は内藤だが、父親と共に江戸に出て下級幕臣・川路家に養子となる。17歳で幕府の最末端ともいえる下級役職から出発し、その後は本領を発揮して勘定吟味役から3千石格の勘定奉行と海防掛を兼務して、幕末の国際関係の第一線に立った。

 

 嘉永6年(1853)6月、ペリー率いるアメリカのインド艦隊が浦賀に来航した。その翌月にはロシアのプチャーチンのディアナ号が長崎に来航して開国通商を求めた。川路が外国との交渉を全権代表として受け持った最初となる。これは後の日露和親条約に結実する。この時の取り決め(領国の国境は択捉島とウルップ島の間)が、現在の北方領土問題の原点となっている。

 

 お隣の清国(中国)では第2次アヘン戦争が起き、その余波を幕府は危惧した。この状況で川路はアメリカとの通商条約も締結させる。「日本の近代化」へのレールは、こうして敷かれたのであった。だが、川路は安政の大獄で閑職に左遷され、桜田門外の変(大老・井伊直弼暗殺)によって再び外国奉行・勘定奉行に就くが、半年で辞任。中風で倒れて半身不随になる。

 

 やがて大政奉還が行われ、戊辰戦争の最中の慶応4年(1868・9月に明治元年となる)3月15日、江戸城開城を目前にして居宅で自刃。割腹後に拳銃で自ら止めを刺した。享年67であった。

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江宮 隆之えみや たかゆき

1948年生まれ、山梨県出身。中央大学法学部卒業後、山梨日日新聞入社。編制局長・論説委員長などを経て歴史作家として活躍。1989年『経清記』(新人物往来社)で第13回歴史文学賞、1995年『白磁の人』(河出書房新社)で第8回中村星湖文学賞を受賞。著書には『7人の主君を渡り歩いた男藤堂高虎という生き方』(KADOKAWA)、『昭和まで生きた「最後のお殿様」浅野長勲』(パンダ・パブリッシング)など多数ある。

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