老獪な策略家として“老虎”と呼ばれた鍋島直茂が戦国時代に隆盛をもたらし、幕末まで有力家として紡いだ「鍋島家」の歴史とは⁉ 【戦国武将のルーツをたどる】
戦国武将のルーツを辿る【第27回】
日本での「武士の起こり」は、遠く平安時代の「源氏」と「平家」に始まるという。「源平」がこれに当たるが、戦国時代の武将たちもこぞって自らの出自を「源平」に求めた形跡はある。だが、そのほとんどが明確なルーツはないままに「源平」を名乗ろうとした。由緒のあるか確たる氏素性を持った戦国大名は数えるほどしかいない。そうした戦国武将・大名家も、自分の家のルーツを主張した。絵空事も多いが、そうした主張に耳を貸してみたい。今回は戦国時代より台頭し、明治まで佐賀を守り続けた「鍋島家」の歴史にせまる。

江戸時代に鍋島氏が治めた佐賀藩の拠点・佐賀城跡。現在は写真の鯱の門及び続櫓のほか、日本最大級の木造復元建物・本丸歴史館などが見られる。
鍋島家は、肥前佐賀藩の藩祖・鍋島直茂(なべしまなおしげ)から始まっているといっても過言ではない。元々、その祖先については、鎌倉時代後期には北九州随一の勢力を誇った小弐氏の小弐教直(しょうにのりなお)の子孫とも、山城(京都府南部)の長岡教直の子孫ともいわれる。実は、その双方が子孫である可能性も高い。というのも、長岡氏の始祖は平安時代の末期にまで遡る。源頼朝の挙兵を助けた「近江(宇多)源氏の佐々木4兄弟」の父親に当たる佐々木秀義(ささきひでよし)から始まったのが長岡氏であり、ずっと後世になって小弐氏と長岡氏との縁組みによって生まれた子が、鍋島氏を名乗ったというのである。
複雑ながら説明すると、元は「佐々木氏」であった清直が姓を「長岡」に変えた後に経秀が家督を相続し、その孫娘が小弐氏の教頼(のりより)に経房(後に清直)が生まれ。その子が、直茂の曾祖父・直義であり、さらに祖父・清久の時代に龍造寺家に臣従した。そして清久の嫡男・清房と主君・龍造寺家清純(いえすみ)の娘が結婚して、直茂が誕生した。つまり直茂は、龍造寺隆信とは又従兄弟になるし、後に隆信の実母と直茂の父とが再婚することで、2人は義兄弟となる間柄であった。
祖父・父ともに知将として知られ、龍造寺隆信(りゅうぞうじたかのぶ)の信頼は厚かった。この血統を受け継いだ直茂も合戦では天才的な手腕を発揮した。永禄12年(1569)に豊後(大分県)の大友宗麟(おおともそうりん)が龍造寺氏の本拠・佐賀城に攻撃を掛けると、直茂はいち早く籠城を主張する。その主張を容れた隆信は、辛抱強く大友方の攻撃を耐え忍んだ。その結果、業を煮やした宗麟は講和を持ちかけ、隆信はかなり有利な条件で講和に成功した。
天正12年(1584)、薩摩・島津軍と矛を交えた沖田畷(おきたなわて)の戦いで「肥前の赤熊」などと恐れられていた隆信は討ち死にする。龍造寺家の家督は、隆信の嫡子・政家(まさいえ)が継承したが、家臣団からの信望が厚かった直茂が、政家の補佐を行った。
天正15年(1587)、豊臣秀吉による九州征伐が本格化した。龍造寺家も秀吉に従って参戦することになったが、政家は病気がちであったから、直茂が龍造寺軍団の指揮を執った。秀吉は、自分の所に挨拶にも来れない政家に失望する。その気配を知った政家は家を守るために、と隠居して息子の高房に家督を譲った。しかし秀吉は、直茂の武勇を認め長崎奉行に任命するなど龍造寺家を直茂に任せるような処遇をしていく。
文禄・慶長の役(朝鮮出兵)でも活躍した直茂は、しかし、龍造寺家の家督を我が物にしようとはせず、補佐役に徹した。直茂の辛抱は23年間続いた。まるで熟柿が落ちるのを待つような直茂の辛抱であった。そして秀吉が死亡し、関ヶ原合戦(1600年)では勝重が東軍に、嫡子・鍋島勝茂(かつしげ)は西軍に味方したが、結果として家康の追及をかわした2人は許されて勝茂は、慶長12年(1607)に正式に龍造寺家の家督を相続して「鍋島佐賀藩」が成立する。つまり直茂が藩主になったのではなく、息子の勝茂が藩主として認められたということであった。龍造寺家の高房・政家は死亡してしまい、お家再興の望みは絶たれた。いわば、直茂の待ちの人生に懸けた「無血クーデター」でもあった。とはいえ、直茂・勝茂の佐賀家は、血筋を辿れば龍造寺家でもある。
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