×
日本史
世界史
連載
ニュース
エンタメ
誌面連動企画
歴史人Kids
動画

小泉八雲が愛した小峰墓地の「鼻欠け地蔵」とは? そもそも「お地蔵さま」とはどういう存在?

日本史あやしい話


日本へやってきた小泉八雲が、何よりも敬愛して止まなかったものは何か? そう問われれば、筆者は躊躇せず、子供のような可愛らしい表情の「お地蔵さん」であったと答えるだろう。中でも一番のお気に入りが、旧制第五高等学校(現在の熊本大学)を見下ろす立田山の墓地にある鼻欠け地蔵であった。いったい、どんな「お地蔵さん」だったのか、さらにはどのような思いで見つめていたのか、その心の内にも分け入ってみたいと思うのだ。


 

■小泉八雲が愛して止まなかった「お地蔵さま」

 

 小泉八雲ことラフカディオ・ハーンが日本にやってきて、一番興味が惹かれたのが何だったのか、お分かりだろうか?それはいうまでもなく、「古き良き日本」であり、且つそこに暮らす「心優しき日本人」であった。

 

 では、その発露として、八雲が目にして安らぎを覚えたのは何か?との問いかけには、筆者は躊躇せず、「お地蔵さん」であったと答えたい。なぜなのか、それは八雲の著作を読めばわかる。至るところに、様々な「お地蔵さん」が描かれているからである。

 

 まずは、八雲が日本へ来て最初に出版した『知られぬ日本の面影』から見てみよう。そこには、横浜港に上陸した直後から、寺社仏閣を巡り歩いて、ひたすら仏像と出会えることを楽しみにしていたことが記されている。中でも、特にお気に入りだったのが、子供のような愛くるしい顔立ちの「お地蔵さま」であった。それは、同書に記された「地蔵」を見ても納得できる。現在の横浜山手にある外国人墓地、かつて増徳院というお寺があったところであるが、そこで八雲が高さ3フィートほどの小さな地蔵六体を目にして、「柔和で子供のようなこれらのお顔はどれも古風で神秘的」で「なんともいえず哀れ深い」と、思いのほどを吐露。挙句、「お地蔵さまとは、日本の民間信仰におけるもっとも麗しく、心優しい姿の表現に他ならない」とまで言い切っているのだ。子供達を懐に包み込んでくれるような優しさに、心惹かれたのである。

 

 ちなみに、残された八雲の肖像写真を見ると、少々神経質そうで、おっかないイメージを抱いてしまいそうだが、実はそんな表情とは裏腹に、彼の心の内は、ピュアーで心温かいものに満ち溢れていた。それが、この一文から窺い知ることができるだろう。

 

 『東の国から』の「石仏」も見てみよう。そこにも、「官立高等学校のうしろにある丘のてっぺん」にある墓地に、蓮華の花の上に坐している仏像のことが記されている。「官立高等学校のうしろにある丘」とは、八雲が教鞭を取っていた旧制第五高等学校(現在の熊本大学)を見下ろす立田山のことで、今もその上り口に小峰墓地がある。八雲は授業の合間を見ては、この墓地内にあるとある地蔵を見るのを楽しみにしていた。それが「鼻欠け地蔵」と呼ばれた、鼻ばかりか手も欠けて無残な姿を晒している「お地蔵さま」であった。「身に創痍をうけながら」も「莞爾とした微笑みをたたえている」と表して、愛おしく眺めるのであった。

 

 そればかりではない。熊本で2軒目の邸宅となった坪井の家の前にも、お地蔵さんがあったことが、『東の国から』の「生と死の断片」の中に見える。顔立ちが温厚慈相で大のお気に入りで、お地蔵さまのお祭りの時には、奉加金も随分弾んだとか。お礼にと、子供達がトンボの飾り物を玄関先に飾ってくれたことまで嬉しそうに語っていた。同じ「生と死の断片」の中には、松江の町にあった獅子の顔のように真っ白塗りたくった白子地蔵の話も盛り込まれているから、八雲の著書は、地蔵話のオンパレードというべきだろうか。

 

 さらにもう一つ、夏休みのたびに訪れていた焼津でも、浪除八雲地蔵尊にまつわる興味深い逸話が伝えられているので紹介しておこう。海辺近くの魚商人・山口乙吉の家の2階に滞在しながら、散歩と水泳を楽しむというのが、ここでの八雲の日課であった。

 

 ある日のこと、焼津市城之腰で、首のないお地蔵さんを見つけてしまった。となれば、じっとしていられないというのが八雲の性格である。これを哀れんだ八雲、石屋さんにかわいい子供の首を付けてくれと頼み込んだというから、何とも心優しいお話ではないか。ただし、それを知った妻の節子さんが反対。「お地蔵さんは子供が亡くなった時に作るもの」とたしなめたのだ。もちろん、八雲は素直に頷いて断念したとも。

 

 八雲のお地蔵さんに対する思い入れ、それは、古き良き日本人の心根の優しさに引かれたからに他ならないが、見る側にも同じ心持ちが宿っていなければ、感じ取れるものではあるまい。加えて、文明開化に突っ走って西洋化を推し進めた明治時代の日本に対する、ささやかな警鐘というべきものまで、さりげなく盛り込んでいると見なすのは深読みのし過ぎだろうか。

 

■衆生を救うありがたい仏様

 

 ところで、八雲がこよなく愛したこの「お地蔵さん」、いったいどんな仏様であるのか、気になるところである。大抵、道端にさり気なく置かれていることが多いから、つい見過ごしてしまいがちだ。お寺の本堂奥に鎮座する威厳溢れる仏像とは裏腹に、子供のような愛くるしい顔立ち。見ている方までつい微笑んでしまうことも少なくない。それゆえにというべきか、特段敬意を払うこともなく、心持ち手を合わせておしまい…という方も少なくないに違いない。

 

 しかし、その本来の役割を知れば一転、実にありがたい仏様であることに気が付いて、深々とこうべを垂れてしまうはずである。実を言えばこの「お地蔵さま」、お釈迦さまが入滅した後、弥勒菩薩が出現するまでの長〜い間(567000年とも)、六道(地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人、天)全ての世界に現れて衆生を救うという、敬服してもし尽くせないほどありがたい仏様なのであった。お釈迦さまが亡くなった紀元前数世紀より、今日はもちろんのこと、56億数千年後に至るまで、この世に仏がいないということになるわけで、その長〜い間、人々を救ってくださるのが、このお地蔵さまだというのだから、そう思って当然だろう。

 

 八雲がそれに気が付いて惹かれたのかどうかはわからないが、お地蔵さまを目にした途端、一瞬のうちにその真髄を見抜いて心打たれたということなのだろうか。何事にも真摯な態度で向き合う人にのみ発露する洞察力、それを身につけていたという気がしてならないのだ。

小峰墓地に鎮座する「鼻欠け地蔵」。八雲が授業の合間、よく見に行ったという/撮影:藤井勝彦

KEYWORDS:

過去記事

藤井勝彦ふじい かつひこ

1955年大阪生まれ。歴史紀行作家・写真家。『日本神話の迷宮』『日本神話の謎を歩く』(天夢人)、『邪馬台国』『三国志合戰事典』『図解三国志』『図解ダーティヒロイン』(新紀元社)、『神々が宿る絶景100』(宝島社)、『写真で見る三国志』『世界遺産 富士山を行く!』『世界の国ぐに ビジュアル事典』(メイツ出版)、『中国の世界遺産』(JTBパブリッシング)など、日本および中国の古代史関連等の書籍を多数出版している。

最新号案内

『歴史人』2026年2月号

豊臣兄弟の真実

秀吉・秀長兄弟による天下統一は、どのようにして成し遂げられたのか? 大河ドラマ「豊臣兄弟!」などの時代考証者らによる座談会や、秀長の生涯を追いながら、その全貌をひも解く。