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神格化を否定した「人間宣言」は、天皇の戦争責任を問う国際社会への忖度から生まれた!?

忖度と空気で読む日本史


アジア・太平洋戦争の終結後、昭和天皇が自らの神格化を否定した「人間宣言」。天皇の民主化を国際社会にアピールするためにGHQが打ち出した施策であったが、背景には天皇の責任を問う国際社会の圧力があった。


 

■GHQの占領統治に利用された天皇制

 

 1945年(昭和20814日、御前会議における天皇の「聖断(せいだん)」によって、日本政府はポツダム宣言の受諾を決定、15年におよぶ悲惨な戦争は終結する。

 

 翌15日、終戦を告げる玉音放送に国民の多くが涙する中、政府が最大の関心をはらっていたのは「国体護持(こくたいごじ)」=天皇制の存続であった。

 

 そもそも、日本政府がポツダム宣言を受諾した背景には、天皇に対する国民の批判的な空気があった。国民生活が窮乏するにつれ、民衆の不満は軍部・政府のみならず、統治権の総覧者にして陸海軍を統括する大元帥(だいげんすい)の天皇にも向けられ、「戦争の惨禍を国民に与えたのは陛下である」といった批判が渦巻いており、天皇や宮中に危機感を与えていた。終戦の決定は「国体護持」が大きな目的でもあったのである。

 

 もっとも、国体の命運を握るのは連合国、特にアメリカであることはいうまでもない。当時、アメリカ本国では天皇が戦争責任を負うべきであるとする意見が多くを占めていた。こうした本国の空気を察しながらも、アメリカは最終的に日本政府の行政組織を利用する間接統治の方式を採用し、天皇制の維持を決定するのである。

 

 その理由は、日本の降伏がアメリカ側の予想より数か月も早まったため、日本語に堪能な要員など軍政に必要な人材が確保できなかったこと、および占領コストの削減を求める国内世論への忖度があった。

 

 さらに重要な要因が、天皇制を占領政策に利用する方針である。ことにアメリカ側を瞠目(どうもく)させたのが、ポツダム宣言受諾後の日本軍の迅速な武装解除だった。玉音放送の翌16日、天皇が世界各地の陸海軍部隊に停戦の大命を下すと、300万の日本軍は次々と戦闘を停止し武装を解いた。固唾(かたず)をのんで推移を見守っていたアメリカ側は、改めて天皇の政治的権威とカリスマ性を認識したのである。

 

 天皇制の存続に向けて、もう一つの契機となったのが、927日に行われた天皇とGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥の会談である。この会談で、天皇は日本国民の指導者として責任を負う意向を表明し、マッカーサーは天皇を終始元首として扱い、占領政策に対するアドバイスまで求めたという。

こうした経過をふまえ、GHQは天皇の戦争責任を追及せず、天皇制を占領統治に利用する方針を固めたのだった。

 

■「人間宣言」で天皇制の民主化をアピール

 

 もっとも、国際世論が天皇制に厳しい視線を向ける中、安易な宥和策(ゆうわさく)をとることは、GHQの信頼を失墜させる危険性をはらんでいた。

 

 実際、アメリカ統合参謀本部は11月末、天皇の戦争責任問題に関する証拠資料の収集をGHQに命じている。これに対しマッカーサーは、アイゼンハワー陸軍参謀総長に宛てて「天皇が政治上の決定に関与した明確な証拠はなく、大部分が輔弼(ほひつ)者の進言に機械的に応じるものであった」と回答し、「天皇が訴追されたら国内で大規模な騒乱が発生するだろう」と警告している。だが当時、GHQが天皇に関する資料を収拾しようとした形跡はない。天皇の政治利用はGHQの既定方針となっていたのである。

 

 とはいえ、GHQとしても世論を無視するわけにはいかない。そこで、天皇の存続を図るために194611日に発せられたのが「新日本建設に関する詔書」、いわゆる「人間宣言」だった。

 

 この中で天皇は「朕と国民の紐帯は、終始相互の信頼と敬愛により結ばれ、神話と伝説によって生じるものではない。天皇を現御神(あきつみかみ)とし、かつ日本国民をもって他の民族に優越し、ひいては世界を支配すべき運命を有するという架空の観念に基づくものではない」と述べた。天皇が自ら神格化を否定することで、天皇制が民主化されたことを示し、ふたたび軍国主義勢力に利用される可能性がないことを国際社会に向けてアピールしたのである。

 

 詔書の形をとっているものの、原案を書いたのはGHQ民間情報教育局(CIE)顧問ハロルド・ヘンダーソンであり、GHQの意向が強く反映されていたことは言うまでもない。国際世論に対する忖度が、歴史的な「人間宣言」を生み出したのである。

 

 同年113日には、国内外にはびこる天皇制反対の空気を一蹴するべく、天皇を「日本国と日本国民の統合の象徴」とする日本国憲法が公布され、天皇制の存続が法的に確定された。

 

 一方、天皇自身の戦争責任については、その後もしばしば問題とされたが、東京裁判において開戦時の首相であった東条英機が全責任を負ったことで天皇の「無罪」が立証され、不起訴とされた。「人間宣言」から3年後のことである。

 

※「人間宣言」部分は平易な表現に改めた

 

軍隊を視察する昭和天皇/National Archives

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京谷一樹きょうたに いつき

日本史とオペラをこよなく愛するフリーライター。古代から近現代までを対象に、雑誌やムック、書籍などに幅広く執筆している。著書に『藤原氏の1300年 超名門一族で読み解く日本史』(朝日新書)、執筆協力に『完全解説 南北朝の動乱』(カンゼン)、『「外圧」の日本史』(朝日新書)などがある。

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