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イカサマ? それとも神の意志? “クジ引き将軍”足利義教誕生の舞台裏には「忖度」が見え隠れする!?

忖度と空気で読む日本史

 


“クジ引き”という世にも珍しい方法で室町幕府6代将軍となった足利義教。やや不自然な抽選結果から、八百長だったとする説も古くから唱えられている。異例の将軍就任劇は、義教への“忖度”によって仕組まれたイカサマだったのか、はたまた神の意志によるものだったのか?


“神に選ばれた将軍”足利義教

 

 古代の坂上田村麻呂から近代の徳川慶喜まで、多くの征夷大将軍が誕生したが、クジで選ばれたのは室町幕府6代将軍・足利義教ただ1人だろう。

 

 クジ引きというと、どうにも軽い響きがするが、日本では古くから神の意志を問う神聖な儀式とされており、政治や人事、裁判など、さまざまな場面でクジ(=占い)が用いられた。

 

 のちに義教が「万人恐怖」と呼ばれた独裁政治をしいたのも、“神に選ばれた将軍”という自信とアイデンティティに裏打ちされたものだったと言えるかもしれない。

 

 ところで、義教を将軍に定めたこのクジ引き。本当に神の意志だったのだろうか。当時の状況を見てみると、宿老たちの“忖度”が働いているようにも感じられるのだ。

 

 まず、6代将軍選抜の背景を見てみよう。

 

 応永35年(14281月、4代将軍・足利義持が後継者を指名しないまま亡くなった。この5年前、義持は嫡子・義量(よしかず)に将軍職を譲ったが、義量はわずか2年で死去したため、義持が引き続き政務をとっていた。義持には、ほかに後継男子はおらず、石清水八幡宮で占ったところ、男子出生という答えが出たため、これに期待をかけて後継者を指名しないでいたという。

 

 そうした中、義持が重体に陥ったため、管領・畠山満家以下、幕府の宿老たちは義持に後継者を指名させるため、護持僧である三宝院満済(まんさい)に遺言を聞きに行かせた。だが、義持は「その方たちで決めてくれ」といい、満済が理由を訪ねると「たとえ遺言しても、皆が支持しなければ意味はないからな」と打ち明けた。

 

 それでも、宿老たちが義持による指名を望んだため、満済が提案し義持の了承を得た方法がクジ引きだった(宿老の提案とする説もある)。宿老からも異論は出ず、すでに出家していた義持の4人の弟が候補に挙げられた。

 

 クジ引きは次のように行われた。満済が4人の候補者名を書きあげたクジをつくり、密封したうえで宿老の山名時熙(ときひろ)が紙の継ぎ目に花押で封印し、畠山満家が石清水八幡宮へ持参して、社前でクジを引き室町第に帰還。宿老たちが見守る中、満家によってクジが開かれ、その結果、候補者中最年長で、義持と母を同じくする青蓮院門跡・義円(義教)が将軍となった。

 

■3度引いたクジの結果がすべて「義教」!? 提起される“八百長疑惑”

 

 以上のプロセスは満済の「日記」に記されたものであり、疑問をさしはさむ余地はないように見える。しかし、この抽選結果については、古くからイカサマであったとする説が提起されている。

 

 満済や満家たちは、かねがね義教の果断な性格や聡明さに注目し、幕府のかじ取りを任せたいと考えていた。そのため、どのクジを引いても義教が出るよう、クジに細工を施したというのである。確かに、「神慮」の形をとることで将軍就任の正統性も保たれるから、いいことずくめと言えるかもしれない。

 

 なぜ、このような推測がなされるのかというと、同時代の貴族・万里小路時房(までのこうじときふさ)の日記『建内記(けんないき)』に、「3度クジを引いたところ、3度とも義円の札が出た」という記述があるためである。確率的にほぼあり得ない数字であり、これが事実なら、イカサマを疑われても仕方がないだろう。

 

 歴史ファンというのは、ついついうがった見方をしてしまうものだ。かくいう筆者自身も、面白さという点でイカサマ説を支持したい(という気持ちもある)。

 

 だが、イカサマ説に決定的な証拠がないのも事実なのだ。『建内記』のこの部分は伝聞に基づいて記されたものであり、クジ引きの当事者が書いた『満済准后日記(まんさいじゅごうにっき)』をさしおいて、鵜呑みにしてしまうのははばかられる。

 

 クジの作成方法についても、先に見たとおり、名札の清書は満済、封印は山名、抽籤は畠山というように役割分担が決められており、公平性を担保しようとする配慮がうかがわれる。

 

 そもそも、当時、幕府の重要事項は宿老たちの会議で決められる慣例があり、義持自身も将軍の決定について「管領以下、面々寄り合い、あひ計るべし」と述べている。義教を推したいのであれば、素直に宿老会議で決めれば良いだけの話であり、わざわざクジを偽装する必要はないと思われる。

 

 真相は神のみぞ知るとしか言いようがないが、後年、義教が恐怖政治をしき、嘉吉の乱で暗殺されて「犬死」と罵られた末路をみれば、真偽にかかわらず、クジ引き自体が失敗だったことは確かだろう。つくづく、衆議の大切さを考えさせられる事例といえそうだ。

 

岩清水八幡宮

 

 

 

 

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京谷一樹きょうたに いつき

日本史とオペラをこよなく愛するフリーライター。古代から近現代までを対象に、雑誌やムック、書籍などに幅広く執筆している。著書に『藤原氏の1300年 超名門一族で読み解く日本史』(朝日新書)、執筆協力に『完全解説 南北朝の動乱』(カンゼン)、『「外圧」の日本史』(朝日新書)などがある。

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