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リハック高橋弘樹が注目する「江戸時代に海外へ渡った日本人」

著名人が自らの”歴史愛”を語る『わたしの歴史人』


『家、ついて行ってイイですか?』(テレビ東京)など数々の人気TV番組を世に送り出し、現在は人気経済動画メディア「ReHacQ」のプロデューサーとして活躍する高橋弘樹さんは、実は歴史への造詣も深い。そのきっかけとなったドラマや、歴史の魅力について話を伺った。


歴史好きが高じて修学旅行では明智光秀が句を詠んだ愛宕山へ……

高橋氏へのインタビューは、YouTubeの新歴史人公式チャンネルで配信中。

――まず高橋さんが歴史好きになられたきっかけからお話いただけますか?

 

 大河ドラマ『独眼竜政宗(どくがんりゅうまさむね)』を父が毎週観ていて、それを僕も横で観ていたのがきっかけだと思います。オープニングが格好良くて、甲冑を着た騎馬武者、海老のような前立(まえたて)の変わり兜(かぶと)が次々と出てきて、あの造形を観るのが楽しみでした。

 

 何年か経って、ゲームの『信長の野望』をプレイしたことで戦国時代にのめり込んでいきましたね。最初はよく上杉謙信(うえすぎけんしん)を選んでいたんですが、段々と津軽為信(つがるためのぶ)とか、難易度の高い武将を選ぶようになりました。姉小路頼綱(あねがこうじよりつな)とか、すぐに滅ぼされて無理ゲーでしたけどね(笑)。武将ファイルを買って、武将をひと通り覚えました。

 

――修学旅行などでの思い出はありますか?

 

 高校の修学旅行で京都へ行ったんですが、みんなが自由行動で清水寺や金閣寺へ行くなか、僕は愛宕山(あたごやま)へ行きました。明智光秀(あけちみつひで)が「本能寺の変」の前に連歌会(れんがかい)で「時は今、雨が下しる五月(さつき)かな」と詠んだ地へ行ってみたかったんです。

 

 誰も来ないだろうと思ったけど、2人ぐらい付いてきてくれました。実際に行くと本当に山で、登るのがすごく辛かったというのが唯一の思い出。辿り着いた後のことは覚えてないんです(笑)。だから久々にもう一度行ってみたいですね。当時はそういう歴史好きの友達もいましたが、逆にバンドマンとは話が合わない陰キャでしたね。

 

――大学卒業後はテレビ東京へ。番組づくりがしたかったのですか?

 

 テレビ東京入社は、たまたまです。普通に就職活動で入った感じですね。歴史学者とか楽しそうだなと思っていたんですが、そこまでの胆力(たんりょく)もなくて、何かを表現する職業がいいなと思ったのがきっかけです。

 

 入社3~4年目に歴史番組『新説!?日本ミステリー』、その後継の『決着!歴史ミステリー』(2008年から2009年)の制作を手掛けました。そのときは、幼いころから学んでいた歴史の知識が初めて役立ちましたね。「本能寺の変」の真相などは、吉田兼見(よしだかねみ)の『兼見卿記(かねみきょうき)』を読み込んで、それで光秀と兼見の仲が良かったことも知って、かなり突っ込んだ内容にしたことを覚えています。

 

 そうそう、明智光秀と坂本龍馬(さかもとりょうま)を結びつけて「龍馬暗殺は、本能寺の変の復讐劇?」とか、ちょっとトンデモっぽい説もやりましたね。光秀の句「心しらぬ 人は何とも言はばいへ 身をも惜まじ 名をも惜まじ」と、龍馬の句「世の人はわれを何ともゆはばいえ わがなすことは我のみぞ知る」が似ているという。光秀のものは後世の創作かもしれないけど、そういった手がかりを番組づくりの参考にしました。織田信長(おだのぶなが)の子孫は、直系は絶えても次男の信雄(のぶかつ)の家系が続いているので、その子孫が明治政府では大蔵省、内務省などの要職に就いたとか。本能寺からも、いろいろな話へつながっていくのは面白かったですね。

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歴史人編集部れきしじんへんしゅうぶ

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