牧場を襲ったヒグマ VS 取り残された牡牛 周囲が血まみれになった壮絶な対決の結末
歴史に学ぶ熊害・獣害
今夏、ヒグマによる人身被害の痛ましいニュースが世間を驚かせた。北海道では、歴史的にみてもヒグマによる人身や家畜への被害と隣り合わせの暮らしを営んできた。日本史上最悪の熊害事件「三毛別羆事件」や、登山中の学生らを襲った「福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件」など、多くの犠牲者を出した事件も少なくない。
昭和23年(1948)に刊行された『野外教室 : 生物生活の観察記』には、家畜被害に関する興味深いエピソードが掲載されている。筆者は考古学者として数々の先駆的功績を残した直良信夫である。
時は大正、直良氏の友人・Nさんは北海道の野を切り拓いて牧場にし、牛を20~30頭ほど飼育していたという。決して儲かっているわけではなかったので、人を雇うこともなく膨大な仕事を日々1人でこなしていた。
夏も終わりに近づいたある夕暮れ時、Nさんは自分が牛たちを小屋に戻すのを忘れていたことに気づく。すると、突然ウーッ、ウーッという唸り声と共にモーウッ!と牛の荒々しい鳴き声がした。この時点でNさんは「どうせ牛同士が喧嘩でもしているのだろう」と思っており、目の前の仕事が終わるまで放っておこうと思った。
しかし、外の騒々しさは増すばかり。そこでNさんが、牡牛を1頭柵の中で繋いでいることを思い出し、もしやヒグマの襲来かということに思い至った。途端に心配になって駆け出し、牛舎の角を曲がった所で、黒い巨体の後ろ姿が目に入った。ヒグマだ。ヒグマは牧場に侵入し、柵の中にいる牡牛を狙っているところだったのである。
Nさんはヒグマの姿を見た瞬間に牛舎の脇にサッと身を隠した。そして、ヒグマと牡牛の様子を注視し、牡牛救出のタイミングを待つことにした。ヒグマは猛然と前足をあげ、牡牛に飛びかかると頭部を叩いた。ところが牡牛はそれでやられることなく、ぐっと耐えて頭を振ると、次の瞬間には角でヒグマの胸部を勢いよく突いたのである。
強靭な角で力一杯突き上げられたヒグマは、その場に倒れると苦しんでもがきだした。胸からはどくどくと血が流れ、ヒグマがのたうち回るので辺りにも飛び散り、目も当てられないほどの凄惨な現場になったという。Nさんは慌てて牡牛のほうに駆け寄り、持っていた銃でヒグマにとどめを刺した。
直良氏はこのエピソードの締めくくりとして、「ヒグマは、日本に棲む動物のうちでは、一番おそろしいけだものです」と記している。

『野外教室 : 生物生活の観察記』より/国立国会図書館蔵
<参考>
■直良信夫『野外教室 : 生物生活の観察記』