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金融恐慌、農業恐慌、大震災……募る国民の不満と不安によって軍部への期待が膨らんでしまった「昭和恐慌」─日本の開戦までの8つの過ち【その3】─

太平洋戦争のすべて〜戦後80年目の真実〜#04

 

■長引く不況に喘ぐ国民の政治への不満

 

関東大震災で崩れた神田橋/国立国会図書館蔵

 

 第1次世界大戦時に空前の好景気(大戦景気)が訪れたが、戦争が終わると輸出は激減して戦後恐慌に見舞われ、さらに関東大震災、金融恐慌と不景気が長く続いた。そこで民政党の浜口雄幸内閣は打開策として1930年1月に金解禁(金本位制度の復活)を断行したのである。

 

 大戦時、欧米では経済混乱を防ぐ目的で通貨と金(正貨)の交換(金本位制度)を停止した。日本もならったが、戦後、先進国が制度を復活させたのと異なり、度重なる恐慌で日本は復する機会を逸していた。

 

 金本位制度に復帰すると円の価値は上がる。当然、円高は輸出に不利に作用して企業の倒産をまねくが、大局的にみれば、産業界の合理化が進み、円相場も安定して日本企業の国際競争力は強化されると判断したのだ。

 

 ところが金解禁の数ヶ月前、ニューヨークのウォール街で株価が大暴落し、世界恐慌に発展してしまう。金本位制度に復したことで日本からは莫大な金(正貨)が海外へ流出した。同時に世界恐慌の影響で輸出は激減、株価が暴落して産業界は不況の波に飲まれ、倒産企業が続出、失業者は100万人を超えた。昭和恐慌の始まりである。

 

 農村部でも輸出急減による繭価(けんか)暴落に連動して農作物の価格が下がり農民の収入は激減した。とくに1930年は米が大豊作で、米価の下落が激しかった。ところが翌1931年は一転して大凶作となり、農村部は農業恐慌と呼ばれるひどい困窮状態に陥った。国民は、この事態を招いた浜口内閣(政党)を恨み、国難を利用して肥え太る財閥に憤りを感じ、軍部に期待するようになっていた。

 

 1931年12月に成立した立憲政友会の犬養毅内閣は、組閣するとすぐ大蔵大臣の高橋是清が金輸出再禁止を断行する。金本位制をやめたことで、金と交換できない円の価値は一気に下落、日本企業はこの超円安を利用して輸出を急激に伸ばし、翌年、昭和恐慌から景気をVの字回復させたのである。

 

監修・文/河合 敦

歴史人2025年9月号『太平洋戦争のすべて〜戦後80年目の真実〜』より

 

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