日本の国際的孤立を招いた満州事変のきっかけとなった柳条湖事件は国民が支持した「関東軍」の暴走だった⁉─日本の開戦までの8つの過ち【その4】─
太平洋戦争のすべて〜戦後80年目の真実〜#05
■国民の圧倒的支持を受け関東軍の暴走がはじまる
浜口首相は、右翼青年に東京駅で狙撃され、その傷がもとで命を落とした。その後、同じ民政党の若槻礼次郎が内閣を組織するが、1931年9月18日夜、南満洲鉄道の線路が柳条湖(りゅうじょうこ/遼東半島の奉天の北)で爆破された。柳条湖事件である。

南満洲鉄道の爆破地点/国立国会図書館蔵
関東州(遼東半島先端部)を守備する関東軍(日本陸軍)は、中国(蔣介石率いる南京政府)軍の仕業だとして大規模な軍事行動を開始した。満洲事変のはじまりだ。驚いた若槻内閣は、事変の不拡大方針を出し、関東軍に軍事行動の停止を求めた。ところが、関東軍はそれを無視して戦闘を拡大・継続していった。事態を収拾できなくなった若槻内閣は、閣内の不一致もあって総辞職した。
関東軍を暴走させたのは、参謀の石原莞爾と上司で高級参謀の板垣征四郎だった。じつは柳条湖事件は中国軍の犯行ではなく、石原らが部下に命じて満鉄を爆破させた自作自演だった。
当時、幣原喜重郎外相は、中国の内政に干渉しない外交(協調外交)を展開していたが、中国国内では民族自決が叫ばれ、国の権利を日本から取り戻そうとする運動が高まっていた。このため軍部は危機感を抱いた。加えて石原は近い将来、日米間の大戦争が起こると考え、アメリカの国力に対抗できるよう、満洲や蒙古を手に入れるべきと唱え、満洲事変を勃発させたのだ。そして一挙に満洲を軍事制圧し、日本の領土に併合しようと企図したのである。
関東軍が暴走できたのは、国民の圧倒的な支持があったから。昭和恐慌で痛手を受けた国民は、満洲が手に入れば、経済的に豊かになれると信じたのである。
監修・文/河合 敦
歴史人2025年9月号『太平洋戦争のすべて〜戦後80年目の真実〜』より
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