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「戦国時代のはじまり」についての教科書の記述が変わっている⁉ 戦国時代がいつからはじまったのかという議論の結論はどうなったのか?【ここが変わった日本の歴史】

ここが変わった!日本史の教科書#05

 

これまで戦国時代のはじまりとされていた応仁の乱勃発地と伝わる御霊神社に立つ「応仁の乱勃発地」の碑(京都府上京区)

 

■幕府、鎌倉公方、関東管領が互いに争う無秩序な関東

 

 戦国時代のはじまりについては、従来、応仁元年(1467)に勃発した応仁の乱とされてきた。応仁の乱を契機に室町幕府の権威は失墜し、その結果、諸国の戦国大名が自立するようになったからである。

 

 確かに、京都を中心とする地域だけをみれば、応仁の乱を契機として戦国時代に突入したとみてもよい。しかしながら、関東においては、応仁の乱よりも早い享徳3年(1454)から「享徳の乱」が勃発しており、近年では、この享徳の乱を契機に戦国時代がはじまったとする見解が有力となっている。

 

 もともと室町幕府は、関東を統治するため、鎌倉に政庁を設置していた。これが鎌倉府である。鎌倉府は関八州、すなわち相模・武蔵・安房・上総・下総・常陸・上野・下野のほか伊豆・甲斐を合わせた10か国を統括した。この鎌倉府を統括したのが鎌倉公方で、2代将軍となった足利義詮の弟・基氏の子孫が世襲している。そして、鎌倉公方を補佐する関東管領には、足利氏と姻戚関係にあった上杉氏がついている。関東管領上杉氏は、鎌倉公方の補佐役ではあったものの、一面では、幕府による鎌倉公方の監視役であった。そのため、鎌倉公方と関東管領が対立するようになり、永享10年(1438)には、4代鎌倉公方・足利持氏が関東管領・上杉憲実の追討に乗り出すと、これを反乱ととらえた幕府により、今度は、足利持氏が追討されることになった。これを永享の乱といい、足利持氏が敗死した。

 

 こののち、関東では、足利持氏の遺児・成氏が鎌倉公方となり、上杉憲実の子・憲忠が関東管領となる。しかし、足利成氏にとって新たな関東管領となった上杉憲忠は、父持氏を自害に追い込んだ上杉憲実の子である。そのため、次第に足利成氏は上杉憲忠と対立するようになる。そしてついに、享徳3年、成氏は憲忠を御所に招いて暗殺してしまう。これに対し、憲忠の弟・房顕が幕府から成氏追討の総大将に任ぜられると、越後守護の上杉房定と駿河守護の今川範忠が関東に侵攻し、鎌倉を占拠した。一方、鎌倉を失った足利成氏は、下総の古河を本拠とするようになり、古河公方と呼ばれることになる。

 

■畿内より早く関東は戦国時代に突入

 

 こうしたなか、上杉氏を支援する幕府は、長禄2年(1458)、古河公方となった成氏に対抗させるべく、新たな公方として将軍足利義政の異母兄・足利政知を関東に派遣した。政知は、伊豆の堀越に御所を構えたことから、堀越公方と呼ばれている。

 

 古河公方足利成氏が勢力圏としたのは、渡良瀬川・利根川の東側である。下総国の結城氏・千葉氏、上総国の武田氏、安房国の里見氏、下野国の宇都宮氏・小山氏、常陸国の佐竹氏らが足利成氏に従った。一方、関東管領である山やまの内う ち上杉氏が勢力圏としたのは、渡良瀬川・利根川の西側である。山内上杉氏は、形式的には堀越公方足利政知を奉じており、これに上杉氏一族の扇谷上杉氏のほか、甲斐の武田氏や駿河の今川氏も従った。

 

 このあと関東では、古河公方足利氏と関東管領上杉氏との戦闘が28年間も続いている。これら一連の争乱を、きっかけとなった上杉憲忠謀殺の年号をとって、享徳の乱と呼ぶ。この享徳の乱は、文明14年(1483)、古河公方と幕府の和睦が成立したことでようやく終結した。

 

 なお、享徳の乱の結果、関東では、古河公方よりも優勢となった上杉氏が一族で権力争いをするようになり、長享元年(1487)からは軍事衝突がおきてしまう。この争乱を長享の乱といい、こちらは18年間も続くことになる。この争乱のさなか、小田原城を本拠とする北条氏が関東に進出し、より争乱は拡大していった。

 

 戦国時代がいつからはじまったのかという点については、様々な見解があるので断定はできない。ただ、少なくとも関東では、応仁の乱よりも早く、争乱に陥っていたのは事実である。そうしたことから、享徳の乱を、戦国時代のはじまりとみても間違っているとはいえない。

 

監修・文/小和田泰経

『歴史人』2025年7月号『ここが変わった!日本史の教科書』より

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