「えげつない女性遍歴」恋人を2度も自殺未遂に追い込んだ印象派音楽の巨匠クロード・ドビュッシー
天才芸術家の私生活
印象主義音楽の先駆者であるクロード・ドビュッシーは、管弦楽曲からピアノ曲、オペラまで、色彩感にあふれた傑作を世に送り出し、フランス音楽の価値を高めた巨匠である。しかし、私生活では女性トラブルが尽きず、借金を繰り返すなど欠陥だらけの人物だった。世の女性から総スカンをくらったドビュッシーの、ジコチュー全開な女性遍歴を紹介する。
■ドイツ音楽の呪縛からフランスを解放した偉大な作曲家
私事で恐縮だが、かつて筆者はドビュッシーが苦手であった。重々しいドイツ音楽を好む私には、ぼんやりとして輪郭がなく、とらえどころのないフワフワしたあの感じがどうにも耳になじまなかったのだ。
だが、難しいことを考えずドビュッシーの音楽に身をゆだねてみると、曖昧模糊とした茫漠さこそが魅力であることに気づく(あくまで個人の感想です)。音楽における印象主義の幕開けを飾った『牧神の午後への前奏曲』の神秘的でけだるい雰囲気、波のざわめきまで感じさせる壮大な交響詩『海』、色彩的できらめくようなピアノ曲の数々……。
ただし、ドビュッシーに冠せられた「印象主義」の言葉は、「曖昧とした印象主義」「色彩優先で線や形が不明瞭」といった酷評から生まれたものだった。当初は否定的な意味で使われたのであり、ドビュッシー自身も印象主義と呼ばれるのを嫌っていたという。
ドビュッシーの功績は、ただ美しい音楽を作り出したことだけではない。当時、クラシック界におけるドイツ音楽の存在感は圧倒的で、ベルリオーズやサン=サーンスなどフランスの作曲家の多くも、ドイツの巨匠たちを模範にしていた。
そうした“ドイツ音楽の呪縛”を解いたのがドビュッシーだった。全音だけで構成される音階やアジアの5音音階、不協和音の多用、斬新なリズムを取り入れ、ドイツ的な形式・ジャンルにこだわらない独自の音世界を作りあげたのである。
■妻を置き去りにしてゲス不倫旅行に興じる
ところが残念なことに、ドビュッシーという男、人間的にはほめられたものではないのだ。気難しくて短気、極度の人間嫌いで、借金を返さない、悪口は言いたい放題、平気で人を傷つける。
中でもヒドかったのは女性関係だ。ドビュッシーが初めて女性と同棲生活を始めたのは27歳の時で、相手はガブリエル・デュポン(通称ギャビー)といった。スタイルが良く控えめな性格で、洋装店で働きながら10年間も貧乏時代の彼を支えた。
ところが、ドビュッシーはそんなギャビーをあっさり見捨て、よりによって彼女の友達でもあるロザリー・テクシュ(通称リリー)と関係をもつのである。絶望したギャビーはピストル自殺を図る。幸い一命はとりとめ、一時ヨリを戻したものの、話し合いの末に別れた。
ドビュッシーはリリーと同棲を始め、翌1899年、正式に結婚する。金髪の美しい女性だったが、出会った当初はパリに出てきたばかりで、あか抜けないところもあったという。そこが気に入ったのか、ドビュッシーは「結婚してくれなければ死んでしまう」という、情熱的とも脅迫的ともとれるプロポーズを行い、結婚にこぎつけるのである。
しかし、この結婚もわずか3年で終わる。ドビュッシーは裕福な銀行家夫人であるエンマ・バルダックと不倫関係に陥り、リリーを捨てて家を出てしまうのである。そして、夫人とともにジャージー島へバカンスに向かったというから呆れる。
この時に作曲されたのが、画家ワトーの作品をモチーフにしたピアノ曲『喜びの島』である。不倫に厳しい方は「聴きたくもない」と毛嫌いされるかもしれないが、色彩感あふれる音色、きらめくような装飾音、躍動するリズムが光る傑作である。「作品に罪はない」という言葉はこの曲のためにあるといっていい。
だが、哀れなのは一人の取り残されたリリーだ。彼女は絶望のあまり、ギャビー同様、ピストル自殺を図る。今度も命は助かったが、さすがに世間は許さず、「財産目当てに妻を捨てた」といってドビュッシーを非難し、多くの友人・知人が彼のもとから離れた。さらに、お相手のエンマも銀行家の夫と正式に別れる前にドビュッシーの娘を出産し、世間の非難にさらされた。
1908年、2人は正式に結婚したが、ドビュッシーは元妻リリーへの慰謝料の支払いに追われ、エンマも実家の莫大な遺産を相続することができず生活は困窮した。
ドビュッシーは指揮者として演奏旅行をするなど、気の進まぬ仕事を引き受けて生活費を稼いだという。今も昔も不倫の代償は高くつくようだ。

イラスト/AC