朝ドラ『あんぱん』「ミイラのような姿」になった叔父 柳瀬家から出征したもう1人の男性の存在とは?
朝ドラ『あんぱん』外伝no.47
NHK朝の連続テレビ小説『あんぱん』は、第13週「サラバ 涙」が放送中。嵩(演:北村匠海)とのぶ(演:今田美桜)は、焼け野原になった高知市で再会する。戦争によって信じていた「正義」がひっくり返り、子供らを巻き添えにしたことを悔いて「自分が生きていていいのか」と思いつめるのぶに対して、嵩は「生きていかなければならない」と諭す。人々の心に残る深い傷を描いた回だったが、史実ではやなせたかし氏が「戦争が人を変える」ことをまざまざと見せつけられる出来事があった。
■衣食住に困らず、現地住民との関係も良く、趣味に没頭する日々
やなせたかし氏(本名:柳瀬 嵩)は、終戦から約7ヶ月後の昭和21年(1946)3月に、やっと復員船に乗ることができた。船は上海を出て、佐世保港に到着。日本の陸地が遠くに見えた時には、船に乗っていた誰もが大喜びしたそうだ。二度と戻ってくることは叶わないと思いながら旅立った日本の地に戻れるとあって、笑ったり、泣いたり、踊ったりと大騒ぎだったらしい。
さて、佐世保は大混乱の真っ只中で、家族に帰還を知らせることもできない。嵩さんは検疫所での処置を終えた後、除隊を告げられて帰路につくことになった。ではどうやってかえるのかというと、まず引揚援護局へ行って、家までの切符などを受け取るのである。この時、嵩さんは除隊に伴う一時金や軍からの給料が支払われていた通帳を受け取っている。
長距離を移動してやっとの思いで後免町の家に帰ってきた嵩さんを出迎えたのは、伯母のキミさんと父方の叔母にあたる繁以さんだった。キミさんは伯父・寛さんの妻で、繁以さんは寛さんや清さん(嵩さんの父)の妹である。2人は前触れなく生還を果たした甥の姿を見るや、泣き崩れたという。そして、そこで嵩さんは実弟・千尋さんの戦死を知るのだ。
さて、ドラマには登場しないが、嵩さんとの繋がりが深かったのが、叔父の正周さんだった。彼は寛さんや清さんの弟で、7人きょうだいの末弟だった。実は嵩さんが小学校2年生で寛さんに引き取られて以降、長らくこの正周さんと同じ部屋で寝起きしていた。当時正周さんは中学生。寛さんは両親に代わって、長男としてきょうだいたちの面倒をみていたのだ。
成長した正周さんは東京の勧業銀行(現在のみずほ銀行)に勤め始め、世田谷区に住むようになった。その家からわずか5分程度のところに住んでいたのが、嵩さんの実母・登喜子さんだ。再婚し、相手に従って東京で暮らしていたのである。そんな縁に加えて、嵩さん自身も上京して東京高等工芸学校の図案科(現在の千葉大学工学部)に通い始めたため、母子の交流は深まった。
さて、太平洋戦争において、正周さんも出征している。フィリピン方面に送られ、次々と仲間が命を落とすなかどうにか生き残り、嵩さんよりも先に引き揚げてきていた。嵩さんがそれを聞いて会いにいった時、言葉を失ったという。そこにいたのは、ほとんど骨と皮だけと言っていいほどがりがりに痩せこけた叔父だった。その衝撃を、著書において「まるでミイラのようでびっくりした」と述懐している。そして、その場では互いに戦争について何も話すことなく帰ったのだという。
言うまでもないことだが、戦地は倫理も常識も通用しない、命を奪い合う過酷で凄惨な場だ。終戦し、無事に帰国したとしても、すぐに元の生活に戻れるわけがない。嵩さん自身も、しばらくは何も考えられず、家でぼんやりと過ごしていたという。

イメージ/イラストAC
<参考>
■やなせたかし『アンパンマンの遺書』(岩波現代文庫)
■やなせたかし『ぼくは戦争は大きらい: やなせたかしの平和への思い』(小学館クリエイティブ)