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婚約破棄をされて逆上! 「女装して元恋人を殺そう」とした若き天才作曲家エクトル・ベルリオーズ

天才芸術家の私生活


 「クラシック音楽」というと、小難しく近寄りがたいというイメージをお持ちの人も多いのではないだろうか。そんな方は、まず作曲家の魅力を知るところから始めてはどうだろう。偉大な作曲家も我々と同じ人間。ひとたび私生活をのぞいてみれば、金銭や女性問題でつまずき、酒におぼれ、スランプにおびえる人間らしい姿が見えてくるだろう。

 

 今回はロマン派音楽の先駆者にして、数々の奇行でも知られるフランスの作曲家エクトル・ベルリオーズを苦しめた2つの恋と、1つの殺人未遂事件を紹介したい。


 

『エクトル・ベルリオーズ回顧録』より(Boston Public Library)

■アヘンによる幻想を描いたサイケデリック・シンフォニー

 

 ベルリオーズが自身の出世作となる『幻想交響曲』を完成させたのは、かのベートーヴェンが交響曲第9番を発表した6年後の1830年、27歳の時であった。

 

『幻想交響曲』は画期的な作品だった。それ以前のハイドンやベートーヴェンら古典派と呼ばれる作曲家は、高度な音楽技法を駆使して、調和・秩序・均整による形式美を徹底的に追求した。音とリズムの組み合わせにより、音楽の質そのものを磨き上げることに心血を注いだのである。

 

 そうした音楽界の常識は、『幻想交響曲』の登場によりくつがえされた。最大の特徴は、音楽で物語や心情、風景などを表現したところにある。このような音楽を標題音楽といい、19世紀のロマン派音楽を特徴づける表現手法となるが、その先がけが『幻想交響曲』だった。

 

 しかも、その内容がけっこうエグいのだ。主人公は、病的で繊細な感受性をもつ若い芸術家。彼はある女性へのかなわぬ恋に絶望し、アヘン自殺を図るが死にきれず、奇怪な幻想世界へ入り込む。やがて、夢の中で女性を殺し断頭台で処刑された若者は、魔物や怪物たちとともに自身の葬式に参列。魔女の踊りに見入っている若者の前に、醜く変わりはてた、かつて恋人が姿を現す――。

 

 実はこの物語には、ベルリオーズ自身の激しい恋愛体験が投影されている。

 

 当時、ベルリオーズはハリエット・スミッソンという女優に入れあげていた。1827年、『ハムレット』のオフィーリアを演じるハリエットを見て一目ぼれ。以来、熱に浮かされたように何度も手紙を送り、対面まで申し入れる。だが、無名の音楽学生が人気女優に相手にされるわけもなく、ハリエットに怖がられ、手紙の受け取りも拒まれてしまうのだ。

 

 ベルリオーズは激しい虚無感にさいなまれ、恋心はいつしか憎しみに変わっていった。直接手を下せないなら、せめて自身の作品の中で復讐してやろう。そんなゆがんだ感情とともに、『幻想交響曲』は生み出されたのである。

 

■ピストルと毒薬、女装用のドレスを携えてパリへ

 

 そうして作曲に没頭する一方で、ベルリオーズは新しい恋を見つけるという、ありきたりな方法で失恋の傷を癒した。マリー・モークというピアニストを口説き落とし、結婚の約束まで取りつけたのである。モテないわけではないのだ。

 

 だが、この新しい恋もすぐに頓挫する。マリーの母親が婚約を破棄し、プレイエルというピアノ製作者と娘を結婚させてしまったのである。

 

 この仕打ちにベルリオーズがキレた。復讐を決意した彼は、2連発のピストル2丁と毒薬を用意すると、洋品店に向かい自身にぴったりのドレスをあつらえた。女のふりをしてマリーに近づき、彼女と母親、プレイエルを射殺した後、自殺しようと考えたのである。

 

 怪しまれず近づくために変装が必要なのはわかる。しかしなぜ女装? かえって目立つのではないかと思うのは凡人の発想で、若き天才作曲家は徹底的に女装にこだわるのである。

 

 ベルリオーズは馬車に乗り、留学中のイタリアからパリへ向かったが、途中で大失態をおかす。ある村で馬車を乗り換えた際、女装道具を置き忘れてしまったのだ。

 

 普通は諦めるところだが、女装が計画の肝であると信じて疑わない彼は、同じ衣装をあつらえるために、地元の婦人服店を片っ端から回り始める。さんざん断られたあげく、8軒目にしてようやく引き受けてくれる店を見つけたというから、驚くべき執念といえよう。

 

 やがて夜になり、馬車は海辺の道を走り続けたが、突如、国境付近で停車する。馬車の整備が目的であったが、これが運命の分かれ道となった。突如訪れた静寂――。続いて、絶壁に砕け散る波音を耳にしたベルリオーズは急に恐怖にかられ、ようやく正気を取り戻したのである。

 

 ベルリオーズは後年、『回想録』の中で、この事件を「ドラマ」と呼び、それが「上演」されなかったことを残念がっている。封印すべき黒歴史だと思うのだが……。

 

過去記事

京谷一樹きょうたに いつき

日本史とオペラをこよなく愛するフリーライター。古代から近現代までを対象に、雑誌やムック、書籍などに幅広く執筆している。著書に『藤原氏の1300年 超名門一族で読み解く日本史』(朝日新書)、執筆協力に『完全解説 南北朝の動乱』(カンゼン)、『「外圧」の日本史』(朝日新書)などがある。

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