【猫の古代史】人と猫はいつから共生していたのか? 飛鳥時代から「ネコ」と呼んでいた!?
犬は縄文時代から人と暮らしてきたようですが、猫はどうだったのでしょうか?
■犬と同じく猫も遥か昔から人間と一緒に生きてきた
人の身近にいる動物といえば、筆頭は犬と猫でしょう。犬は縄文時代から生活の相棒として暮らしてきたことがわかっていますが、一方猫はいつごろからどんなかかわりをもって人と暮らし始めたのでしょうか? 調べてみましょう!
猫の祖型は恐竜が絶滅した後、今から6000万年前ごろに現れたミアキスという小さな哺乳類だったそうです。そして驚くことに、森林で暮らしたミアキスはやがてネコ科の祖になり、平原に暮らしたミアキスはイヌ科の祖になったのです。性格も暮らし方も全く逆といっていい犬と猫の祖は同じだったのですね!
現代猫のDNA調査からは、人と暮らし始めた家ネコの最初は中東からエジプト周辺に住んでいたリビア山猫で、人との暮らしが判明する最古のものは9500年前のキプロス島の遺跡だそうです。人の墓穴に隣接してリビア山猫が丁寧に埋葬されていたのです。
約4000年前のエジプトでも猫は大切にされています。猫のミイラもありますし、バステト神という猫の神像もあります。
ではなぜ猫が人と暮らし始めたのかというと、それは人間が農業を生活の中心に据え始めたからだと考えられています。つまり収穫した農作物を食い荒らす大敵のネズミ対策だったのです。ネズミと猫の争いはこの頃にはもう始まっていたのですね!
ただ交尾排卵のために妊娠率の高い猫が町中に増えたことに不気味さを感じたヨーロッパの人たちは、猫を魔女の使いとして駆逐したこともあります。そのせいでネズミが大量に繁殖してペストが蔓延したともいわれています。猫にも虐待の歴史があって、そのバチが人にあたったという事ですね。
日本列島に猫が住み始めたのは早くは弥生時代、遅くとも飛鳥時代から奈良時代のころに唐から持ち込まれたのではないかというのが定説になっています。理由はやはりネズミ対策だったようで、穀物守護というだけではなく、寺に保存される貴重な経典類の獣害を防ぐという意味でも猫は頼りになる相棒だったようです。
地上の暮らしでもネズミ対策は死活問題になりかねませんが、もっとも深刻なのは航海中の船の中です。ネズミ算といわれるほど急速に増えるネズミに、限られた食料を食い荒らされてはたまりませんので猫は船に喜んで迎え入れられたようです。わが国では航海の安全を守ってくれる神の使いが三毛猫の超希少なオスだといわれていますね。
話は近代になりますが、アメリカに移住するヨーロッパ人が多くなると、長い外洋航海中の船に猫は必須の相棒になります。ネズミ狩りに卓越したブリティッシュショートヘアという灰色(ブルー)の猫をイギリスから乗船させて、アメリカに住み着いたその猫がアメリカンショートヘアの誕生につながったといわれていますし、Jerryのライバルで友達でもあるTomさんのモデルだともいわれているそうです。面白いですね。

ブリティッシュ ショートヘアの猫。TOMのモデルだといわれている狩りの名人だ。写真は山口市猫カフェ&ギャラリーGATOのソラ君。
さて古代日本の猫さんですが、ネズミ退治の強力な親衛隊としての役目と同時に、すでに平安時代には貴族の間で愛玩動物として可愛がられていたようで、平安文学にも猫は登場しています。花山天皇は「敷島の大和にはあらぬ唐猫の君がためにぞもとめ出たる」と和歌を詠んでいますし、『枕草子・源氏物語・更級日記・今昔物語』にも猫が登場します。
そして江戸時代には日光東照宮に左甚五郎が眠り猫を彫り、歌川国芳が猫絵をかいて大ヒットさせ、明治にはついに『吾輩は猫である』を夏目漱石が発表します。猫さん大活躍ですね。釈迦の涅槃図にも入滅を悲しむ猫が描かれているものもあり、山口県の雲林寺という猫寺には猫世界の立体涅槃図もあります。
「ネコ」の語源説も様々で、「鼠好(鼠を好む)説・寝子(一日中寝ている)説」などがあります。
また「猫(ネコ)」という呼称はいつからあるのかを調べてみると、平安時代に書かれた『日本国現報善悪霊異記(にほんこくげんほうぜんあくりょういき)』に「狸・禰古(いずれも「ネコ」と読む)と書かれています。俗に『日本霊異記』と呼ばれるこの書物には古代の面白いオカルチックな話が満載で、すでに飛鳥時代ごろから「ネコ」と呼ばれていた可能性を感じます。
現代では愛玩動物の人気で犬を超えたといわれている猫ですが、ネコ目ネコ科ネコ属の誕生は、我々ホモサピエンスなどよりもはるかに古い1200万年前だといわれていますので、ツンとした冷めた目で見つめる猫たちに、私たちはどう映っているのか?気になります。(笑)

野良の三毛猫。
撮影:柏木宏之