朝ドラ『あんぱん』高等教育機関への進学率は1%未満!? のぶを通じてみる戦前の女子教育と制度
朝ドラ『あんぱん』外伝no.15
NHK朝の連続テレビ小説『あんぱん』、第4週は「なにをして生きるのか」が放送中だ。女子師範学校の受験を終えた朝田のぶ(演:今田美桜)だが、裁縫や面接の出来が悪いために不合格か……と落ち込む。一方、嵩(演:北村匠海)も高知第一高等学校への受験を終えたが、母・登美子(演:松嶋菜々子)や伯母・千代子(演:戸田菜穂)はすっかり合格気分になり、“前祝い”と称して豪勢な食事を準備する。しかし、結果はのぶが合格、嵩が不合格となった。さて、この頃の女子師範学校への進学率は極めて低い。当時の女子教育の制度と実態をみていこう。
■「良妻賢母教育」が基本だった女子の教育
のぶが在籍していた「高等女学校」は、大正9年(1920)の高等女学校令改定によって原則5年制と定められた。とはいえ、現在の中学・高校のようなイメージとは大きく異なる。高等女学校令が出された明治32年(1899)には、時の文部大臣が「高等女学校ノ教育ハ其生徒ヲシテ他日中人以上ノ家二嫁シ、賢母良妻タラシムルノ素養ヲ為ス二在リ」と発言した通り、「良妻賢母を育成する」ことが最重要視されていた。
「高等」と名はついているが、過程としては「中等教育機関」に該当する。大正14年(1925)には高等女学校への進学率が14~15%まで上昇。昭和10年(1935)には16.5%という記録もある(数値には諸説あり)。ちなみに、同年の男子の中等教育機関(旧制中学校など)への進学率は20.4%。男女ともに、義務教育(尋常小学校)以上の教育を受ける機会に恵まれることがどれほど難しかったかがわかる。
明治~大正にかけて、女子の高等教育機関(高等師範学校や女子専門学校など)への進学率は0.1~0.4%ほどと低迷したが、昭和に入るともう少しだけ上昇する。それでも、内閣府男女共同参画局によると高等教育機関への進学率は戦前期においては1%未満。戦後、GHQによって民主化と男女平等が掲げられるようになった昭和22年(1947)時点でやっと1.7%という記録がある。それもそのはず、結婚して良妻賢母になることが美徳とされた時代にここまで進学するということは、教師を含む職業婦人となることとほぼイコールだ。現代と異なり、積極的に選択する進路ではなかった。
なお、女子師範学校、もしくは師範学校女子部は主に小学校の教師を養成する機関だ。女子高等師範学校は、中等教育すなわち高等女学校の教師もしくは師範学校の教師を養成する機関という違いがある。女子師範学校に進学するのぶは、これから小学校の教師になるべく、厳しい教育を受けることになる。

イメージ/イラストAC
<参考>
■梯 久美子『やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく』(文春文庫)
■内閣府『男女共同参画白書 令和元年版』より「高等女学校における良妻賢母教育」