朝ドラ『あんぱん』史実では東京の官僚と3回目の結婚をした母 置き去りにされたやなせたかし氏がとった衝撃の行動とは
朝ドラ『あんぱん』外伝no.8
NHK朝の連続テレビ小説『あんぱん』、第2週は「フシアワセさん今日は」が放送された。柳井嵩(演:木村優来)は、母・登美子(演:松嶋菜々子)からのはがきに記された住所を頼りに訪ねていく。ところが、登美子は立派な屋敷で再婚相手の男性と住んでおり、その家には子どもまでいた。残酷な現実を突きつけられ、満身創痍で帰ってきた嵩に、のぶ(演:永瀬ゆずな)と母・羽多子(演:江口のりこ)はあんぱんを差し出す……。今回は実際にやなせたかし氏が経験した母との別れ、そして母子関係について取り上げる。
■愛されていたけれど“息子”ではなかった
やなせたかし氏(本名:柳瀬 嵩)の母・登喜子さんは、父・清さんと同じ高知県香北町在所村の出身。地元では有名な大地主の家に、6人きょうだいの次女として誕生した。才色兼備の登喜子さんは、高知県立第一高等女学校の在学中に同じ地域で豪商として知られた家の男性と一度結婚をしているが、その後離縁。清さんとは二度目の結婚だった。
登喜子さんは大正8年(1919)に嵩さんを、その2年後に弟・千尋さんを出産。一家は東京で暮らしていたが、清さんが大正12年(1923)に東京朝日新聞の特派員となって上海に渡ったのを機に、2人の子を連れて故郷の高知県に戻ったという。いつもきちんと化粧をし、綺麗な着物を着て香水の甘い香りを振りまいていた登喜子さんは、田舎では悪目立ちした。近所の人々からの評判は悪かったそうだ。
大正13年(1924)に清さんが亡くなると、登喜子さんは千尋さんを清さんの兄・寛さん夫妻の元へ養子に出した。とはいえ、これは清さんの生前から決められていたことで、子どもがいなかった柳井家の跡継ぎとして千尋さんは大事に育てられた。一方、嵩さんは登喜子さんと祖母の鐵さんとの新たな生活をスタートさせる。
高知市内での新生活が始まると、登喜子さんは琴や三味線、謡曲、生け花や茶の湯、洋裁など様々な習い事で不在にしがちになった。華やかで社交的な登喜子さんの周囲にはいつも数人の男性の存在があったこともあり、口さがない人々は噂話や悪口を言い合った。そしてそれは、あろうことか幼い嵩さんの耳にも入ったという。幼い少年には聞くに堪えない話も多かったというが、やなせたかし氏は、「母が自分のために手に職をつけようとしているのも理解していたし、美しい母を誇りに思っていた」と回顧している。
一方で、嵩さんを芝居や映画に連れ出したり、冬の寒い日にはショールを巻いてくれたり、背負って帰ってくれたこともたくさんあったという。その時の香水の香りが忘れられない、とやなせたかし氏は著書で明かしている。登喜子さんは厳しくも愛情深い人だったそうだ。
嵩さんが小学校2年生になった頃、登喜子さんの再婚が決まった。相手は東京の官僚で、既に子もいたという。やなせたかし氏は著書『人生なんて夢だけど』で、登喜子さんが寛さんとしばらく話し合ったあとに、「嵩はしばらくここで暮らすのよ。病気があるから、伯父さんに治してもらいなさい」と言ったと綴っている。そして、千尋さんと一緒に、登喜子さんが真昼の日差しが降り注ぐなか、真っ白なパラソルを差し、艶やかな着物姿で振り返ることなく去ってゆくのを見送ったという。
驚くべきことに、嵩さんが伯父夫妻と暮らし始めた頃、たった7歳の少年にわざわざ「かわいそうに、あの母親はあなたを捨てたのよ」などと言ってくる大人もいたという。近所の人々も揃って登喜子さんの悪口を並べ立てたが、嵩さんはいつか母が迎えに来てくれると信じていた。
自分の体が丈夫になれば、母が帰ってきてくれるのではないかと、冷水摩擦をして風邪をひくこともあった。体が辛くても母が恋しく、何をしてでも迎えにきてほしかった。しかし、どれだけ経っても何をしても、当然登喜子さんは迎えにこない。随分経って嵩さんは「母は自分を置き去りにして再婚したのだ」と知ったというが、その時でさえ登喜子さんを恨む気にはなれなかったのだという。
<参考>
■梯 久美子『やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく』(文春文庫)
■やなせたかし『人生なんて夢だけど』(フレーベル館)
■門田隆将『慟哭の海峡』(角川書店)

イメージ/イラストAC