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見栄と権威の万博史 帝国主義時代を反映する展示物が並んだ万博のはじまり

 2025年4月、大阪で2度目の万博がスタートする。万国博覧会(国際博覧会)、そのルーツは1928年国際博覧会条約が結ばれたときに始まる。日本は1962年に加入、今や170ヶ国が加盟する大規模な組織になっている。

 

 近代博覧会のスタートは19世紀半ばに遡る。世は帝国主義時代、それはビクトリア女王の治世、大英帝国の全盛時代のときだった。最初の万博は1851年ロンドンのハイドパークで開催された万博だ。同万博ではクリスタルパレス(水晶宮)という巨大な建築物が建設された。ガラスと鉄鋼でつくられたクリスタルパレスは産業革命を経て近代工業国家に邁進する大英帝国繁栄の象徴でもあり「産業の祭典」とも言われることになる。イニシアチブを発揮したのがビクトリア女王の夫アルバート公である。王室は博覧会王立委員会を設置して万博に積極的に関わり、万博は王室・政府主導の国威発揚の場になった。

 

 国内では印刷業の発達による宣伝効果と鉄道の発達で国内の各地からロンドンに大衆が観覧に集まり、目覚まし時計、印刷機、顕微鏡や電動ドリルなど新しい製品が注目を浴びた。参加国は34ヶ国、141日間、約600万人が入場した大博覧会になった。

 

 これに刺激を受けたのが対抗意識を燃やすフランスのナポレオン3世だった。1855年、従来の内国博覧会を変更してパリ万博を開催した。パリの都市改造で彼の功績は有名だが、他方で英術文化への支援、金融改革、通商貿易、特に鉄道網拡充に尽力したのは特筆ものといえる。クリスタルパレスに対抗してシャンゼリゼ通りに面した地区に産業宮なる施設を建設した。折からクリミア戦争が始まっており、ナポレオン3世は帝政を誇示し、各地を鉄道網で結ぶなどイギリスを意識するなかでアジア、アフリカの国々を植民地化するなど帝国主義時代の先頭に立った。博覧会には約500万人が入場、34ヶ国が参加した。フランスらしく宝飾品や蒸気機関車や蒸気船など最新の製品を展示し、産業だけではなく芸術分野に力を入れた。

 

 ロンドン大会より入場者は80万人ほど減少したが、わざわざビクトリア女王夫妻が来場するなどフランスの威信を高めるには充分な成果を示した博覧会だった。エジソンの蓄音機、冷蔵庫、自動車などまさに20世紀に需要が広がる製品が次々と出展され話題を集めた。最初はロンドンとパリで交互に4回も開催されており、英仏列強の覇権争いの様相を呈していた。他方で問題もあった。アジア・アフリカに植民地を拡大した英仏などの列強は、同地の原産物の展示のみならず先住民を会場に来場させマイノリテイー文化を見世物として紹介するなど、帝国主義国家の専横が目立つような展示も存在した。今では隔世の感がある。

 

 1873年のウィーン万博もこれらの延長にある。ヨゼフ1世の治世に25周年を記念してドナウ川沿いに産業館を建設、展示物は多くはなかったが、テーマは「文化と教育」だった。パリに刺激されたか大規模な都市改造により庭園、道路などインフラ建設に尽力し旧市街と新市街を結び付けるモダンな都市を紹介した。1876年のフィラデルフィア万博は独立百年の記念万博になった。アメリカらしく政府に頼らず民間で百周年記念委員会が設置され、8万平方メートルの広大な敷地の3分の1をアメリカ人の電気モーター、ベル、タイプライター、消防車などアメリカ自慢の商品が展示された。

 

まさに帝国主義時代と真逆な万博だったため参加14ヶ国というのは寂しかったが、民間主導の万博は評判を呼び込んだ。19世紀の万博は帝国主義時代を反映する展示が主流を占めていたのは確かである。

水晶宮で博覧会の開会を宣言するビクトリア女王。

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波多野 勝はたのまさる

1953年、岐阜県生まれ。歴史学者。1982年慶応義塾大学大学院法学研究科博士課程修了。法学博士。元常磐大学教授。著書に『浜口雄幸』(中公新書)、『昭和天皇 欧米外遊の実像 象徴天皇の外交を再検証する』(芙蓉書房出版)、『明仁皇太子―エリザベス女王戴冠式列席記』(草思社)、『昭和天皇とラストエンペラー―溥儀と満州国の真実』(草思社)、『日米野球の架け橋 鈴木惣太郎の人生と正力松太郎』(芙蓉書房出版)、『日米野球史―メジャーを追いかけた70年』(PHP)など多数。

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