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朝ドラ『あんぱん』一家離散、父の死…柳井家の複雑な家庭環境は史実通り? やなせたかし氏の壮絶な少年期


NHK朝の連続テレビ小説『あんぱん』がスタート。第1週は「人間なんてさみしいね」が放送中だ。2話では、東京からやって来た柳井嵩(演:木村優来)と母・登美子(演:松嶋菜々子)の2人がどこか肩身の狭い思いをしている様子が描写された。嵩は亡くなった父・清(演:二宮和也)と生き別れになって久しぶりに再会した弟・千尋(演:平山正剛)を含めた家族の思い出を噛みしめる。今回はやなせたかし氏の幼少期の家族関係を取り上げる。


 

※本稿ではデビュー後のお名前をペンネームの「やなせたかし」で表記、幼少期に関する記述を本名で表記しています。予めご了承ください。

 

 やなせたかし氏(本名:柳瀬 嵩)は、大正8年(1919)2月に東京で誕生した(高知県で生まれたとする書籍もある)。この年は第一次世界大戦の講和条約であるヴェルサイユ条約が締結された年である。世界的に軍縮を進めようとしながらも足並みは揃わず、大正9年(1920)に国際連盟が発足するもアメリカは参加しないなど、第二次世界大戦開戦までの混沌の時代を迎えるのだ。

 

 父の柳瀬 清さんは旧家の生まれで、実家は高知県香美郡在所村(現在の同県香美市香北町)にあった。中華民国上海市にあった日本の私立大学・東亜同文書院を卒業後、上海の日本郵船勤務を経て講談社の編集者になった。嵩さんが誕生した翌年に東京朝日新聞に転職している。

 

 母の登喜子さんは、地方では珍しく高知県立第一高等女学校に進んだ才女。元々恵まれた家の出だったという。門田隆将『慟哭の海峡』(角川書店)によると、在学中に一度結婚をしたものの、出戻った後に、清さんと結婚した。地元のエリート夫婦といったところだろうか。登喜子さんは嵩さんに続き、2歳年下の弟・千尋さんを出産している。

 

 清さんは嵩さんが4歳になった大正12年(1923)に東京朝日新聞の特派員として上海に単身赴任(後にアモイへ転勤)した。高知市広報「あかるいまち」201610月号や『新宿区名誉区民』平成27年版(新宿区)によると、そのタイミングで東京を離れ、清さんと登喜子さんの故郷である高知県に移住したそうだ。

 

 ところが、大正13年(1924)、清さんは赴任先のアモイで亡くなってしまう。それをうけて弟の千尋さんは高知県南国氏後免で開業医をしていた伯父の寛さんの養子として引き取られ、嵩さんは登喜子さんとともに母方の祖母にあたる鐵(てつ)さんと一緒に暮らし始めたという。住まいは高知市追手筋の岸野という医師宅の離れだった。

 

 登喜子さんは気位が高く華やかで奔放な女性だったそうだ。琴や三味線、謡曲にはじまり、生け花や茶の湯、洋裁など様々な習い事をしていたらしい。綺麗に化粧をし、煌びやかに着飾って歩く様子は、田舎では浮いていたという。一方で社交的でもあり、誰とでもすぐ親しくなる人だったと、やなせたかし氏本人が著書で回顧している。

 

 嵩さんは小学校2年生まで母と祖母との生活を続けたが、登喜子さんの再婚が決まったことで弟同様に伯父の寛さんに引き取られることになり、後免野田組合小学校(当時)に転校した。わずか5歳で父と死別し、弟と離れ、さらに母とも離れて伯父の養子になるという、8歳そこそこの少年にとって壮絶な経験をしたのである。

 

<参考>

■高知市広報「あかるいまち」201610月号

■『新宿区名誉区民』平成27年版(新宿区)

■やなせたかし『人生なんて夢だけど』(フレーベル館)

イメージ/イラストAC

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歴史人編集部れきしじんへんしゅうぶ

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