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中国で途絶えた「魚を生で食べる文化」が、日本では続いた理由。職人たちの「スゴい衛生管理」とは

世界の中の日本人・海外の反応


生魚を食べる文化が、長い間受け継がれている日本。中国などでは途絶えてしまった魚の生食文化が、なぜ日本でだけ続いてきたのだろうか? 食中毒が頻発していれば生食はされなかったはずだが、寿司や刺身を安全に食べることができたのはなぜなのだろうか?


 

■「野蛮」と言われていた日本の食文化

 

寿司

「世界広しと言えも、魚介を生で口にするのは日本人だけ」。昨今の世界的な日本食ブームにより、この常識は過去のものとなろうとしている。

 

 ラーメンや天ぷらはともかく、寿司や刺身という生魚のハードルが越えられるとは、クジラ肉と生魚を食べることを理由に、日本人が野蛮視されていた時代を知る者としては、隔世の感が強い。

 

 それにしても、海獣の肉を食べる北極圏のイヌイットやエスキモー、クジラ肉を食べるアイスランドの一部、タルタルと言うミンチを食べる東部から中部のヨーロッパなど、生の肉を食べる習慣は世界各地にあるのに、なぜ生の魚を食べる習慣はなかったのか。なぜ日本でだけ存続されてきたのだろうか?

 

 海で囲まれた島国はたくさんあるが、腐食の速い赤道近くは問題外として、日本の札幌より高緯度にあるイギリスやアイルランドでも生魚を食べる習慣はなかった。イギリスのサーモンも、生のように見えて実はスモークサーモンである。アイルランドは慢性的な食料不足に悩まされながら、つい最近まで一部の漁師町を除いて、海産物全体を食べる習慣がなかった。

 

 なぜ日本でだけ、生の魚を食べる習慣が受け継がれてきたのだろうか?

 

■中国では途絶えた「生魚を食べる文化」

 

 まず、魚の生食文化の歴史を探っていこう。

 

 縄文土器から魚介の脂が見つかった例はある。ただし、縄文人が魚介を煮て食べたことはわかるが、生で食べた痕跡は残らないため、判断は難しい。

 

 文献上に証拠が現れるのは刺身または鱠(なます/魚を薄く刻んだもの)を指すと思われる言葉が登場する飛鳥・奈良時代からだが、現在のようなワサビと醤油で食べるスタイルが生まれたのは江戸時代後期の文化・文政(18041830)の頃と言われている。

 

 人工栽培によるワサビの量産が開始されたのは江戸時代の初め。室町時代に始まる和風の醤油が現在の味に大きく近づいたのが江戸時代の中頃で、ワサビと醤油の合体は美味しくいただくためだけではなく、長年の経験から、それぞれに異なる「殺菌効果」が認められたからとも言われている。

 

 だが、膾は古代中国でも食べられながら、その後の中国では消え去ってしまった。日中間で違いが生じた要因が何かあるはずである。

 

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島崎 晋しまざき すすむ

1963年東京生まれ。立教大学文学部史学科卒業。旅行代理店勤務、歴史雑誌の編集を経て、現在、歴史作家として幅広く活躍中。主な著書に『歴史を操った魔性の女たち』(廣済堂出版)、『眠れなくなるほど面白い 図解 孫子の兵法』(日本文芸社)、『仕事に効く! 繰り返す世界史』(総合法令出版)、『ざんねんな日本史』(小学館新書)、『覇権の歴史を見れば、世界がわかる』(ウェッジ)など多数。

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