中国の大岡越前!毎年のように彼を主人公にした連続ドラマがつくられる北宋時代の名臣「包公」
中国時代劇ドラマと史実
■どんな権力者が相手でも媚びを売らなければ、忖度もしない

中国・合肥の包公祠にある包公の座像
日本の時代劇で名奉行といえば、大岡越前か遠山金四郎と相場が決まっている。中国でも事情はいっしょで、アンケート調査をするまでもなく、名奉行の筆頭に挙げられるのは、北宋時代の包拯(ほうじょう/999~1062年)に違いない。
包拯を主人公とするテレビドラマは1974年に台湾で制作された『包青天(ほうせいてん)』が最初で、1993年制作のリメイク作品が大ヒットしてからは、中国・台湾・香港のどこかで毎年にようにドラマ化されるようになり、最近では2017年制作の『開封府~北宋を包む青い天~』(原題/開封府伝奇)が大きな評判を呼んだ。
この二つの作品タイトルにはどちらも「青天(青い天)」という言葉が含まれる。「表の言動にも心の中にも一点の曇りもないこと」を意味する言葉で、ドラマ中の包拯がどんな権力者が相手でも媚びを売らなければ、忖度もしなかったことを表わしている。
ドラマ中の包拯は色黒で、額に三日月型の傷という特異な容貌をし、展昭(てんしょう)をはじめ、腕利きの侠客たちに助けられながら、地方にあっても中央にあって、不正の摘発に心血を注いだ。まさに清官(清廉潔白な官吏)のお手本と呼ぶにぴったりのヒーローである。
その大半は後世の創作だが、包拯が北宋時代を代表する名臣であったことは間違いない。26年を数えた官界生活のなかで、最終的には枢密副使(正二品)にまで昇り詰めた。
現在の安徽(あんき)省合肥市の出身で、出世をしても質素な生活を心掛け、賄賂の要求をしなければ、決して受け取りもしない。時は4代仁宗(じんそう/在位1022~1063年)の御代である。開封府尹代理というから、現在の日本でいう東京都知事と警視総監、東京高等裁判所裁判長の兼任だ。権力者や富裕層、役人の違法行為を容赦なく取り締まったことから一般庶民から称賛され、巷では、「関節(賄賂)到らず、閻魔包公あり(閻魔の包さんがいる限り、賄賂は通用しない)」などと、もてはやされた。
包拯の目立った活躍はこの一点なのだが、役人の世界で不正蓄財が常態化していたこともあってか、その伝説化は包拯の死の直後から始まり、講談や芝居などの民間芸能において、「弱きを助け強きを挫く」姿勢をモットーとした、数々の名裁きが創作されていった。
『三国志演義(さんごくしえんぎ)』や『水滸伝(すいこでん)』など、南宋と元の時代に流行った作品は、明代以降、続々と通俗小説にとして出版され、包拯を主人公とした『包公案(ほうこうあん)』『龍図公案(りゅうとこうあん)』といった公案小説(推理小説)も明朝末期に刊行された。
清朝末期には推理に武侠(漢気とアクション)をあわせた『三侠五義(さんきょうごぎ)』という作品が生まれ、包拯に協力する侠客たちが顔を揃える。
色黒で、額に三日月型の傷という包拯の特徴は、語り物であった時期から一貫していたが、これらは中国の伝統演劇における決まりに由来する。
演劇は観客あっての芸能なので、誰がどういう役を演じているか、わかりやすくする必要があった。そこで採用されたのは顔面のメイクの色である。黄色は腹黒、白色は陰湿と卑怯者、緑色は凶悪という具合で、黒色は反骨と強い意志を意味するものだった。
残るは額の傷だが、これは本来、傷ではなく陰陽魚(太極)という、道教の神であることを示すしるしだったが、いつしか三日月型と誤解されるようになった。
道教では、三国志の関羽(かんう)、南宋の岳飛(がくひ)など、実在の人物を神格化する例が少なくないが、包拯も大衆的な人気ゆえに、神の列に加えられた。
つまり、包拯の場合、大衆芸能の世界で確立された姿がそのまま映像の世界に持ち込まれたわけで、視聴者はその前提に慣れ親しんいるから、違和感も抱かなければ、史実に忠実になるべきとも思わない。視聴者が求めるのはあくまで名奉行としての包拯の活躍であって、制作側もそれを承知だからこそ、包拯の容貌を踏襲し続けているのだった。

中国・合肥の包公墓園にある包公の墓。