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戦国時代の〝軍師〟山本勘助は「呪術師」だったのか⁉【呪術についての疑問】

今月の歴史人 Part.4


戦国時代、武将たちの横で活躍した軍師たちは「呪術」を使っていたという説がある。生死をかけた戦いを繰り広げた戦国の世にあって、呪術はどのような存在だったのだろうか?果たして真実はどうだったのだろうか。


 

■呪術に頼った軍師も多かった

 

山本勘助
武田信玄に仕えた軍師で、出陣の吉日を占うなど陰陽師だったという説も。山本勘助に関してはその存在自体にすら謎があり、様々な謎をもつ男である。(東京都立中央図書館蔵)

 

 戦国大名には呪術を完全否定した者は一人もいない。一向宗門徒の包囲殲滅を躊躇(ためら)わず、比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)を焼き討ちした織田信長(おだのぶなが)にしてから、桶狭間(おけはざま)の戦い直前に熱田神宮(あつたじんぐう)で戦勝祈願を行い、戦後に御礼として「瓦葺の塀」を寄進したと伝えられる。

 

 戦国大名の呪術への依存度は非常に高く、必ずと言ってよいほど、どの大名のもとにも軍配者が置かれていた。兵法にとどまらず、出陣や戦闘開始の日時を占い、陣地の位置や方角の良し悪しを見極め、天候の予測までこなす器用者で、現在は軍師の語で呼ばれる。豊後の大友宗麟(おおともそうりん)に仕えた角隅石宗(つのくませきそう)、薩摩の島津義久(しまづよしひさ)に仕えた川田義朗(かわだよしあき)、甲斐の武田信玄(たけだしんげん)に仕えた判兵庫(ばんのひょうご)などが有名どころで、江戸時代初期に編纂された軍書の『甲陽軍鑑(こうようぐんかん)』によれば、判兵庫は安倍晴明(あべのせいめい)の流れを汲む陰陽師で花押占いと印判占いに優れていたという。

 

 心底信じていたのか、験担ぎやパフォーマンスであったかは判別できないが、死と隣り合わせの日常であれば、最終的に神仏や呪術にすがりたくなるのもわかる。

 

安倍晴明
日本でもっとも知られる陰陽師。出自には謎が多いが、天皇にも重宝され、平安時代に活躍した。

 

監修・文/島崎晋

歴史人2023年6月号「鬼と呪術の日本史」より

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