様々なドラマや映画で描かれた中国史上最高級の美女「楊貴妃」
中国時代劇ドラマと史実
■世界に「美女」として名を轟かせている楊貴妃

山口県長門市「楊貴妃の里」に立つ「楊貴妃像」
中国史上の美女には「三大美女」と「四大美女」という二つの括りがあり、どちらにも必ず名を連ねるのが、春秋時代の西施(せいし)と唐の楊貴妃(ようきひ)である。
唐王朝は日本とも関係が深く、中国史上もっとも華やいだ王朝。楊貴妃に焦点を当てた作品、あるいは唐の宮廷を舞台とした作品を映像化するのであれば、視聴者の期待も高まるだけに、それなりの製作費を投じる必要があり、日中合作の映画『空海 美しき王妃の謎』(原題:妖猫伝)や、テレビドラマの『麗王別姫 花散る永遠の愛』(原題:大唐栄耀)はどちらも2017年の制作で、豪華絢爛という言葉がぴったりの出来栄えとなった。
映画の『空海』は夢枕獏(ゆめまくらばく)の小説『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』を名匠チェン・カイコー(陳凱歌)が大胆にアレンジした作品で、日本からは染谷将太(そめやしょうた)が空海役、阿部寛(あべひろし)が遣唐使の阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)役、松坂慶子(まつざかけいこ)が元宮女役、火野正平(ひのしょうへい)が空海の日本での師匠役として参加。中国側では若手イケメンのホアン・シュアン(黄軒)が空海とともに皇帝怪死事件の謎に挑む白楽天(白居易)役、台湾・フランスのハーフ美女チャン・ロンロン(張榕容)が楊貴妃を演じた。
一方、『麗王別姫』も2017年制作。楊貴妃はわき役で、主役はのちに11代皇帝の代宗(だいそう)となる広平王李俶の側室。名を沈珍珠という。演じるは『キングコング:髑髏島の巨神』をはじめ、ハリウッドでも活躍中のジン・ティエン(景甜)で、目力が印象的な美女である。李俶を演じたアレン・レン(任嘉倫)もまた文句なしのイケメン。豪華絢爛なセットと衣装に負けてはいない美男美女のコンビである。
沈珍珠については、12代皇帝となる徳宗(とくそう)の生母であること、安史の乱(755~763)の最中に行方知れずになったことを除いては、ほとんどわかっていない。
それに比べれば、楊貴妃はまだましな方。当初は玄宗(げんそう/在位712~756)の第18皇子寿王の女官として迎えられるが、玄宗が一目見て気に入り、いったん道観(道教寺院)に入れて世俗との縁を断ち切らせた上で還俗させ、改めて玄宗の後宮に入れるという手間をかけたが、結局は息子の女を横取りした形だった。
それまで精力的に政務をこなしていた玄宗だが、楊貴妃を迎えてからは一切を重臣に任せ、自身は昼間から楊貴妃との時間に耽溺した。戯れの場所は長安東の興慶宮(こうけいきゅう)の場合もあれば、温泉地に設けた華清池(かせいち)という離宮の場合も。華清池には楊貴妃専用の大浴場もつくられ、楊貴妃はそこで肌を潤すのを常とした。
楊貴妃が皇帝の寵愛を受けたことで、その恩恵は親族全体に及んだ。これにより又従兄の楊国忠(ようこくちゅう)は宰相にまで上り詰め、地方で大兵を擁する安禄山(あんろくざん)との権力闘争に勝利したと思われたが、安禄山が反乱を起こしたことを境に、雲行きが怪しくなる。
官軍の敗報を相次ぐと、玄宗は楊貴妃を伴って長安を脱出。四川まで逃れるつもりでいたが、馬嵬(ばかい)という宿駅まで来たところで、将兵が抗議行動を起こす。
無様な状況に陥った責任は楊国忠にあるとして、楊国忠の首を刎ねた上で、玄宗が休息する宿所を包囲。楊貴妃による報復を恐れるあまり、玄宗に向けて、楊貴妃に死を賜るよう請願したのである。それが実行されない限り、自分たちはここから一歩も動かないと、サボタージュを起こしたのだった。
馬嵬に長居をしていたら、反乱軍にいつ追いつかれるとも知れず、すぐにも出立したい玄宗は、側近筆頭の高力士(こうりきし)に命じ、楊貴妃を絞殺させるしかなかった。
ときに楊貴妃は37歳。白楽天は772年の生まれだから、楊貴妃に会ったことはなく、生前の楊貴妃の顔を間近で拝むことを許された詩人は李白くらい。しかし、李白の作品は具体性にかけ、楊貴妃の容貌に関して具体的な情報を得ることはできない。
唐代と現在では美女の基準が大きく異なる可能性もあるが、それでも楊貴妃にあやかろうとの思いは強く、馬嵬に設けられた楊貴妃の墓から土をくすねる者が後を絶たず、地元当局は盛り土をレンガで覆う処置を施した。
するとレンガを破壊して、破片を持ち帰る者が続出したため、ついには周囲に鉄柵が設けられ、墓に手を触れることさえ難しくなってしまった。まったくもって迷惑なマナー違反である。
一方、華清池には上半身を開けた姿で、セクシーボディを誇示するかのような楊貴妃の像が建てられた。当初は池の中にあったのだが、それではいっしょに記念撮影ができないとのクレームを受け、陸上へと移設。中国人観光客には好評だが、日本人観光客には気恥ずかしく、軽い気持ちで記念の一枚とはいかないようである。