中国の時代劇にたびたび登場する名奉行! 中華版シャーロック・ホームズ「ディー判事」こと【狄仁傑】ってどんな人?
中国時代劇ドラマと史実
■中国史上唯一の女帝・則天武后の「名臣」

河南省洛陽市にある狄仁傑のお墓。
日本の時代劇で名奉行と言えば大岡越前(おおおかえちぜん)と遠山金四郎(とおやまきんしろう)が不動の双璧だが、中国の時代劇では、唐代の狄仁傑(てきじんけつ/ディー・レンジエ)と宋代の包青天(ほうせいてん)が同じポジションを占める。
狄仁傑はディー判事あるいは判事ディーと呼ばれることが多い。ドラマ化・映画化は何度もされているが、日本でも公開され、吹き替えや日本語字幕付きで見ることのできる作品に限れば、「香港のスピルバーグ」の異名を持つツイ・ハーク監督の映画「判事ディー」シリーズ三部作がお勧めである。三部作は以下の通り。
『王朝の陰謀 判事ディーと人体発火事件』(原題は『狄仁傑之通天帝国』2010年制作)
『ライズ・オブ・シードラゴン 謎の鉄の爪』(原題は『狄仁傑之神都龍王』2013年制作)
『王朝の陰謀 闇の四天王と黄金のドラゴン』(原題は『狄仁杰之四大天王』2018年制作)
あらかじめ注意点を指摘するなら、時系列では②→③→①の順になる。それに加え、則天武后(そくてんぶこう)を演じたベテラン女優のカリーナ・ラウ(劉嘉玲)を除けば、①と②③で俳優が総入れ替えされたことも念頭に置いておいたほうがよい。
主役である狄仁傑を演じたのは、①では香港のベテラン俳優アンディー・ラウ(劉徳華)だったが、②③では台湾の若手俳優マーク・チャオ(趙又廷)が抜擢された。入れ替えの理由はともあれ、アンディー・ラウにしても、マーク・チャオにしても、中華圏を代表するイケメンにして、知的な雰囲気を発しながら、アクションもしっかりこなせるなど共通点が多い。これこそ、中華圏ではすでに定着しているディー判事のイメージそのものに他ならない。
実際の狄仁傑(630~700)がイケメンであったかどうかは定かでなく、武術の心得があったかどうかも不明ながら、唐代を代表する名臣であったことは疑いない。高宗(在位649~683)から則天武后(在位690~705)まで4代の皇帝に仕え、相手がどれほど権勢を誇る者であっても媚びることも怯むこともなく、必ず筋を通す硬骨漢であった。そのために何度か失脚・左遷を経験しているが、そのたびに復活を果たしている。

山西省文水県の則天廟に立つ則天武后像。
この段階では名臣ではあっても、まだ名判事と呼ばれてはいない。その名が推理力に優れ、数々の難事件を解決した名刑事・名検察官・名裁判官として刻まれるのは18世紀の清代である。
清の盛世と言われた当時、巷では公案小説(推理小説)が大流行しており、『狄公案』という狄仁傑を主人公にした作品も人気を集めていた。著者は「不題撰人」というペンネームしか伝えられていないが、おそらくは科挙の落第生であろう。
しかし、その知名度が中国国内に限られていれば、ディー判事を主役とする映画が海外で上映されることもなかっただろう。ディー判事の名を世界に知らせたキーマンがいたのである。オランダの外交官にして優れた東洋学者でもあったファン・ヒューリック(1910~1967)がそれで、彼は1951年を皮切りに、『狄公案』をモデルにした推理小説を続々と刊行。これがディー判事シリーズで、日本でも「中国版シャーロック・ホームズ」として複数の出版社から邦訳が出されている。興味を覚えた人はぜひ一読を。