顔だけじゃない! 華流時代ドラマ「山河の恋」のイケメン・ドルゴンは清を生んだ真の立役者だった
中国時代劇ドラマと史実
■イケメン・ドルゴンは内乱のなか、奔走した英雄であった

明王朝と清王朝の皇宮であった紫禁城。
韓流時代劇を追い越せとばかり、今や日本でも中国時代劇の人気が高まっている。中国制作の作品もあれば台湾制作の作品もあるため、無難な表現として、華流時代劇と呼ばれもする。
一番の特徴はレギュラー出演者が男性も女性もイケメンばかりなこと。まず視覚効果で視聴者の心を掴もうとの魂胆が如実に表われている。
ここ十数年で数々の華流時代劇がヒットしたが、そのなかでも先駆け的な位置を占めるのが2012年制作の『宮廷の泪(なみだ)・山河の恋』(原題は『山河恋 美人無泪』)である。
華流時代劇は原作の小説または漫画のあるもの、架空の時代、架空の人物を主人公にしたもの、史実を背景にしたものの3つに大別できるが、『宮廷の泪・山河の恋』は17世紀の半ば、王朝で言うなら明(みん)王朝の末期から清(しん)王朝の確立までを扱い、実在の人物が多く登場するから、明らかに第3のパターンである。
舞台は中国の東北部、女真(ジュシェン/のちマンジュ=満洲)の宮廷。主要な登場人物は後金国(アイシン/清の前身)2代目皇帝のホンタイジ(1592~1643)と正室のジャジャ(哲哲)、モンゴル貴族の娘でホンタイジの側室に迎えられたユアル(大玉児)とハイランチュウ(海蘭珠)、ホンタイジ異母弟のドルゴン、ユアルが産んだフリン(のちの順治帝/じゅんちてい)の6人。彼らを中心とした権力闘争と男女の愛憎が物語の中心をなす。
ドルゴンは初代皇帝であるヌルハチ(1559~1626)の第14子。ホンタイジから警戒されながら、頼みともされた。
当時の状況を整理すれば、中国大陸には北京を都とする明王朝が存命していたが、地方で起きた反乱の広がりに手を焼いていた。女真の台頭を気にしないではなかったが、1619年に派遣した討伐軍がサルホの戦いで大敗を喫してからは、東で大海に望む山海関(さんかいかん)をはじめ、万里の長城上の拠点を死守するだけで精一杯だった。
ホンタイジは何とかその山海関を落とそうとしたが、夢半ばにして急死した。
後継者を巡り、たちまち暗闘が始まる。有力者たちは以下の3派に割れた。
・ホンタイジの長子ホーゲの支持派
・ホンタイジの第9子フリン(当時6歳)の支持派
・ドルゴン支持派
ここで内戦となれば、弱体化は免れず、これまで築き上げてきたすべてを失いかねない。そのため話し合いによる解決が図られ、ホーゲとドルゴンがともに辞退し、帝位をフリンに継がせること、成人するまでドルゴンとドルゴンの従弟ジルガランが輔理(ほり)国政を務めることで妥協がなった。
それからのドルゴンは忙しい。万里の長城以南で事が急展開したからである。
1644年3月19日には李自成(りじせい)率いる反乱軍によって北京が陥落。山海関の守将を務める呉三桂(ごさんけい)は城内に置いてきた愛妾のことが心配でならず、4月1日にはドルゴンに降伏。清軍を長城以南へ引き入れ、その助けを借りて李自成の軍を撃破した。
ドルゴンは周辺の掃討を終えたうえで、5月2日に北京へ入城。10月1日にはフリンを北京に迎え、瀋陽(しんよう)から北京への遷都を実現させた。
それから1650年12月、狩猟中に急死するまでの間、内ではホーゲとジルガランを失脚させて独裁権力を確立。肩書も叔父摂政王から皇父摂政王へと格上げされ、征服下に置いた漢民族の成人男性に対し、服従の証として束髪(そくはつ)を切り落とし、満州族と同じ髪型にするよう強要しながら、政治制度の大半は明のものを踏襲するなど、飴と鞭を巧みに使い分けることで統治の安定に尽力した。
『宮廷の泪・山河の恋』の中のドルゴンは、初めて会ったときからユアルに思いを寄せ、窮地に陥った彼女を幾度となく救ったとの設定。野史(正史以外の史書や民間伝承)の中に、ホンタイジ亡き後、ドルゴンが孝荘文皇太后(こうそうぶんこうたいごう/ユアル)を妻にしたとする記述があることから、それをヒントに話を膨らませたものと考えられる。ドルゴンの終生変わらぬ愛情にユアルがどう応えたのか、詳しく知りたい読者はドラマを見て確認を。