秀吉と氏政が眺めた「小田原城」「石垣山城」を“ラッパー”坂間兄弟が追体験!【後編】
坂間兄弟の「KNOW HISTORY, KNOW LIFE」
■天守5階の展望では格別な景色を堪能
―その後、3階では小田原城および城下などで発掘された小田原城ゆかりの陶磁器やかわらけや、二の丸御屋形の正面玄関に据えられたと伝わる幕末の小田原藩おかかえ絵師・岡本秋暉(しゅうき)作の「杉戸絵花鳥図」、そして小田原北条氏時代とみられる甲冑や河内狭山藩北条家に伝わる甲冑などを見学し、天守5階展望へ。

D氏は忍者に続いて本日二度目の顔ハメ。「信長の野望」コラボコーナーで一枚。

小田原城および城下で出土した貴重な器や土器などを展示。

こちらは発掘されたかわらけ(墨で字が書かれた素焼きの土器)。

甲冑について解説する大貫さん。
D:天守最上階からの眺めが360度格別!って観光客目線になっちゃうけど、あれが石垣山ですよね。

雄大な海と三浦半島の眺望が楽しめる天守最上階。

すかさず自撮るD氏と景色を撮るコーヘイ氏。

石垣山城の場所を探すD氏。

石垣山城を天守の別アングルから。ある程度視認できる距離に立っていたことが分かる。
大貫さん:はい。直線距離で約3㎞ほどです。一夜にして城があらわれたように見せ、北条氏が驚いたなどともいわれますが、実際には約80日間かけて築かれました。
D:当時はビルなどもないし、こうして改めて見通しても城を造っていることに気付かない訳はないよね。
コーヘイ:見せつけて圧を与えてたんだろうね。こっちの海側なんかはモロに囲まれてるのが見えるわけだし(笑)。
D:船がズラーって並んでるのを見たら、氏直だって「父さんこれ無理だよ、開城しようよ!」って思うようなあ。
コーヘイ:2階にあった豊臣側の容赦ない布陣の図、北条側の総構え、石垣山城との距離、その予備知識を仕入れてから見る天守最上階からの眺めは、まさに遠い目(笑)。
D:うん。当時こうした望楼(ぼうろう)は付いていなかったし、今では鉄筋コンクリートの復興天守だけどさ、経済的な理由もあるし、なにも正確に復元することが正解じゃないよね。皆に愛される小田原城はこれでいいんだよね。プライベートでまた来ます!
―天守閣見学を終えて次の場所に向かう途中、本丸脇にあるSAMURAI館で甲冑の着付け体験ができることを知り、試してみることに。ただ、アポなしのためメインの甲冑はすでに貸し出されてしまっていたが、残っているもので良ければ……という条件でお二人に着てもらった……のだけれど、あれ?

甲冑着付け後、早速一枚!
D:どんな感じ?
コーヘイ:そこそこ重量感があって「着てる」って感じはするけど。
-申し訳ない感じというか、なんか想像と違ったというか……すみません。時間もないことですし、次に行きましょうか。
D:バカにしてんのか(笑)。
コーヘイ:アポなしでやらせる編集が悪い!
-すみません。小田原天守閣の諏訪間さん、大貫さん、本日はお忙しいところご案内いただき、ありがとうございました。

平謝りする編集。

不満を漏らしつつも、記念写真はバッチリのブラザー。

取材当日は梅が咲き、風情を感じさせた小田原城。