秀吉と氏政が眺めた「小田原城」「石垣山城」を“ラッパー”坂間兄弟が追体験!【前編】
坂間兄弟の「KNOW HISTORY, KNOW LIFE」
連載第2回目の舞台は「小田原」。小田原城は、小田原北条氏の居点として2代・氏綱が本格的な整備を始め、3代・氏康時代には難攻不落と称された。しかし豊臣秀吉による小田原合戦で包囲され、総構(そうがまえ)で対抗するも降伏。その後は大河ドラマ『どうする家康』で小手伸也演じる武将・大久保忠世(おおくぼただよ)が入城することになる。RHYMESTER(ライムスター)のMummy-D(マミー・ディー)と、実弟でMELLOW YELLOW(メローイエロー)のKOHEI JAPAN(コーヘイ・ジャパン)の二人は、まず駅近くにある北条氏政・氏照の墓所へ向かうことに。
■北条氏政・氏照の墓所をお参りして小田原城へ

甲冑着付けからの、小田原城天守閣前で一枚。
—4代氏政とその弟の氏照は、小田原合戦の責任を取って自害させられ、当時この場所にあった伝心庵に埋葬されたとのことですね。

氏政・氏照の墓所を訪れた二人。

階段の上にある墓地内には、氏政・氏照が石上で自害したと伝わる生害石や、五輪塔などがある。
Mummy-D(以降「D」):それにしてもすっかり駅前の繁華街の一部みたいに取り込まれちゃって……。
KOHEI JAPAN(以降「コーヘイ」):もっと小田原城や石垣山城のように、大切に扱われてもいいよね。

氏政・氏照の墓所。
D:実は個人的に昨年末に息子を連れて来たんだけど、息子は氏政のことを“知らないおじさん”って言ってた。

墓所で手を合わせる二人。
コーヘイ:知らないおじさん(笑)。
D:そう。知らないおじさんに対して一生懸命拝んでた(笑)。
コーヘイ:ほほえましいけど切ないなあ。
D:切ないといえば、いま真横の電柱のスピーカーから流れているのってQueenの『Another One Bites The Dust』(邦題『地獄へ道連れ』)じゃね?
コーヘイ:さらに横にある居酒屋の名前が『大こう』(太閤=豊臣秀吉)だし。ここはひょっとしたら最初じゃなく、最後にいくべきだったかも。
—これ以上いると悲しくなりそうだった(?)一行は、二の丸東堀などを見学しつつ小田原城へ。

小田原城の三の丸の土塁址を歩く二人。

小田原城の遺構のひとつである、幸田門址の記念碑。

馬出門へと続くお堀端通り。
コーヘイ:あれは何だろう? 櫓(やぐら)?
D:確か隅櫓(すみやぐら)。むっちゃ風情あるな。

お堀端通りから見える二の丸隅櫓。

お堀端通りから小田原城を眺める。
■江戸城と同じ「伊豆石」の石垣を用いている小田原城
—門の前で、今回案内していただく小田原城天守閣館長の諏訪間順さんと、学芸員の大貫みあきさんにご挨拶。これから正規の登城ルートに沿って、天守閣まで見学していきます。まずはこちら、三の丸から二の丸に向かう大手筋に設けられた枡形形状の馬出門(うまだしもん)。門の方に目が行きがちですが、諏訪間さん曰く、注目して欲しいのは石垣の部分だとか。

馬出門に到着。

小田原城天守閣館長の諏訪間順さん(右)の話に耳を傾ける二人。
小田原城天守閣館長・諏訪間順さん(以降「諏訪間さん」):小田原城の石垣は、江戸城同様に伊豆石が使われているんです。伊豆石は良質な安山岩(あんざんがん)で石塔、墓石のある五輪塔とか、石の鍋とかに使われますが、価格は70~80キロで20~30万円ほどするんです。
D:えっ、結構高い! じゃあこの岩ひとつで何百万円もするってことですよね?

石垣について解説する諏訪間さん。
—すごいいっぱい並んでますけども、これだけあると億行きますね。

高額な伊豆石がびっしりと積み上げられている。
コーヘイ:そこかい(笑)。まあその通りなんだけれども、実際の総工費はいくらくらいなんですか?
諏訪間さん:馬出門としては45億円余で、石垣には2億円ほどです。平成15~16年に発掘調査し17~18年に石垣の工事、19~20年に門と土塀(どべい)の建築工事を行いました。小田原城は元禄の地震ですべての建物が焼け焦げてしまったのですが、宝永年間に天守や櫓が再建されました。明治時代には廃城になり、建物がすべてなくなり、二の丸内には御用邸が建設されました。しかし、1923年の関東大震災で壊滅的な被害を受け、石垣も全部崩れたんです。
D:それらの復元を徐々に行っていったということですか?
諏訪間さん:その通りです。天守閣は昭和35年(1960年)に、常盤木門が昭和46年、銅門(あかがねもん)が平成9年に復元されました。
コーヘイ:ええっ、気が遠くなる作業ですね。
D:大手門は復元されていないんですか?
諏訪間さん:まだなんです。位置としては地方裁判所の正面あたりで、今は鐘楼の石垣がありますが、いずれは……。
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