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諸葛孔明に7回も捕まった孟獲は実在した? 疑問だらけの「南蛮征伐」の謎を解く

ここからはじめる! 三国志入門 第74回


正史『三国志』に確認できない人物が数多く登場する『三国志演義』(以下「演義」)。今回は南蛮(なんばん)王の孟獲(もうかく)をはじめ、物語後半に描かれる諸葛亮(しょかつりょう)の「南蛮征伐」に登場する人物たちの正体や、その役回りなどを探ってみたい。


 

蜀軍の引き立て役として登場する南蛮武将

諸葛孔明に服す孟獲(七縦七擒)。三国志演義連環図画より。

 西暦223年、蜀漢(しょくかん)の皇帝・劉備(りゅうび)が白帝城で没すると、その支配地とされる益州南部の豪族たちがこぞって反乱を起こす。蜀は地理的な関係で「南中」と呼ばれる地帯と隣接していた。今でいう中国雲南省からベトナム・ミャンマー北部のあたりだ。中華の文化圏から外れ、その支配の外にあることから反乱が起きやすかった。

 

 これに対し225年、丞相・諸葛亮は、みずから平定に乗り出す。のちに魏(ぎ)を征討(北伐)するためにも、東の呉(ご)との和睦や南方平定は不可避であった。このとき、馬謖(ばしょく)などの進言で、ただ鎮圧するだけではなく、心服させることで蜀漢への組み込みをはかった。

 

 そのため、首魁の孟獲を捕らえては放し、釈放すること7度に及んだ。7度目にはもう逃げようとはせず、ついに南方は蜀の威に服する。七縦七擒(しちしょうしちきん)という故事である。

 

 以上が、史書における諸葛亮の南中征伐だ。孟獲の名前や七縦七擒の逸話は、正史『三国志』本文にはないが、その諸葛亮伝の注に引用される『漢晋春秋』や、4世紀の歴史書『華陽国志』に記載されている。

 

猛獣使いや3メートル近い大男も登場

 

 この南中征伐は、小説『三国志演義』では第8789回に「南蛮征伐」として描かれる。南蛮王の孟獲が蛮兵10万を率いて境界を侵犯。「南蛮が服従せぬは国家の大問題。私が討伐しなければ」と、諸葛亮が蜀の軍勢を率いて南征する。

 

 南蛮征伐は、それまでの物語と違い異色な雰囲気で描かれる。鄂煥(がくかん)、阿会喃(あかいなん)、董荼那(とうとな)など独特の響きの人物たちが次々と現れ、蜀軍の前に立ちはだかる。

 

 孟獲の夫人祝融(しゅくゆう)は、飛刀(ナイフ投げ)の名手で男勝りの武芸の持ち主。「南蛮一の知恵者」とされ、毒の泉で蜀軍を苦しめる朶思大王(だしだいおう)。ゾウにまたがり、法術を使い、虎などの猛獣を操る木鹿大王(ぼくろくだいおう)などユニークである。

南蛮征伐に登場する象兵。三国志演義連環図画より。

 極めつけは、兀突骨(ごつとつこつ)だ。体が鱗で覆われ、蛇などの生餌を食べる。身長が3m近くもあり、藤甲(とうこう)という矢も刀も通さない鎧をまとう兵を率いる。

 

 彼らは初見では蜀軍を大いに苦しめるが、何せ相手は諸葛亮。猛獣は炎や煙を出す木造兵器で退散、藤甲兵は谷に追い込まれ爆薬で全滅する。諸葛亮のやりたい放題だが「これも国家のためとはいえ、私は寿命が縮まるに違いない」と、彼は憐憫の涙を流し、報いを受けることを暗示する。

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上永哲矢うえなが てつや

歴史著述家・紀行作家。神奈川県出身。日本の歴史および「三国志」をはじめとする中国史の記事を多数手がけ、日本全国や中国各地や台湾の現地取材も精力的に行なう。著書に『三国志 その終わりと始まり』(三栄)、『戦国武将を癒やした温泉』(天夢人/山と渓谷社)、共著に『密教の聖地 高野山 その聖地に眠る偉人たち』(三栄)など。

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