『三国志』の宴会に登場する三本脚の酒器は、酒を飲むための道具ではなかった?
ここからはじめる! 三国志入門 第72回
『三国志』の中で、当時の生活を伺うことができる場面のひとつとして、桃園の誓いに代表される酒宴のシーンがある。映画やドラマなどで、英雄たちは印象的な形状の「酒器」を手にしているが、それは実際に当時使われていたのだろうか?
三国志の酒宴で登場する「爵」

三国志演義連環画より。曹操が盃の酒を垂らし、董卓の討伐を王允に誓う場面。
当時、酒宴には特別な意味があった。紀元前17世紀に始まった殷(いん)、周(しゅう)の時代からの伝統で、酒宴は穀物の恵みを神や祖先に捧げる行為であり、祭祀の場などで席が設けられた。自分たちも一緒に飲み、共同体の一員であることを認識する意味合いを持っていたのだ。
その際に使われる酒器にも、また特別な意味があった。殷代には、早くも用いられていたとみられる青銅製の酒器。それが「爵(しゃく)」という酒器・杯である。
爵は「スズメ」の意を持ち、実際にスズメをかたどったものだ。また「爵位」の言葉が示す通り、高い身分の人が使うもので、特別な儀礼および、それに伴う酒宴で使われたと考えられている。
この爵だが『三国志』を描いた本場のドラマなどでは、酒宴の場面に頻繁に登場する。わが国の漫画では、横山光輝『三国志』最終回で「いやいや、ここは楽しい。蜀が恋しいとは思いませぬ」と言って宴に興じる劉禅(りゅうぜん)が手にしているのも爵である。
爵は高さ十数センチから二十数センチ。映像作品では、このスズメのくちばしの部分に、口をつけて酒を飲む姿が描かれる。しかし、随分と飲みづらそうだ。
底部に煤(すす)が付着したものが出土していることなどから、実際は火にかけて酒を温め、スズメの口(注ぎ口)から別の器に酒を移して飲んだ可能性が高い。
觚(こ)や尊(そん)といった、現代のグラスにより近い形のものも、同時代から使われ始めていた。これらのほうが飲むには便利である。
爵には、注ぎ口の根元に柱が2本立っている。これは壺などの大型容器から柄杓(ひしゃく)で爵に酒を移すとき、ここに布をかけて酒を漉(こ)し、不純物を除く用途があったとみられている。今のように醸造技術が発達していないため、当時の酒には不純物も多かったのだろう。
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