戦国のレジェンド・織田信長は落語に登場する「若旦那」だった!
桂紗綾の歴史・寄席あつめ 第23回
戦国のレジェンド・織田信長のうつけさに負けない人物が落語のなかにも登場するというお話をご存じだろうか。今回は戦国を制した信長の怖さをやわらげる、愉快な落語の話を大阪・朝日放送のアナウンサーでありながら、社会人落語家としても活動する桂紗綾さんに語ってもらった。

織田信長
戦国のなかでも「破天荒」な振る舞いをしたことで知られる信長。その大胆さも天下人へとのし上がったひとつの理由となったのかもしれない。(『太平記英勇伝 小田上総介信長』東京都立中央図書館蔵)
その奔放な振る舞いや奇抜なファッションから「尾張(おわり)の大うつけ」と呼ばれた織田信長(おだのぶなが)。〝うつけ〟という言葉を広辞苑でひいてみると、【①中がうつろになっていること。から。空虚。②気がぬけてぼんやりしていること。また、そのような人。まぬけ。おろか。】〝うつけ者〟は、【おろか者。のろま。うっかり者。】と明記してあります。
現代の信長の印象とは少し違っているような気がしますね。やんちゃで傾奇者(かぶきもの)、織田家を継ぐ嫡男とは思えない言動、それらが周囲には理解し難く、奇人変人に見られていたのでしょう。関西弁で言うところの「あの子アホちゃうか」「けったいなやっちゃなぁ」「ええとこ連れていかれへん」等に近いニュアンスで、「尾張の大うつけ」と言われていたはずです。
さて、落語ではこの「大うつけ=若旦那」がよく主役で登場します。アホなお坊ちゃん、アホなぼんぼん。大抵が放蕩息子、道楽息子に描かれています。『七段目』は、芝居好きで四六時中芝居ごっこをしている若旦那。『よかちょろ』の若旦那は、花魁に色めき散財するが反省の色は皆無。『親子茶屋』は、若旦那のみならず大旦那までが大のお茶屋遊び好き。『幇間腹』は、鍼医の真似事で人に鍼をうちたがる若旦那。『湯屋番』は、大家を勘当され湯屋の番台で働かされるが、女風呂に来る客を妄想してはのぼせ上がる若旦那。

江戸時代の湯屋
現代では考えられないが、かつての日本の湯屋は混浴が当然であった。(『肌競花の勝婦湯』歌川国周/国立国会図書館蔵)
確かに、こんな人たちが大家の若旦那では、お家の行く末は心配だわ、彼ら自身の将来も不安だわ。しかし、どうにも愛らしく、見ているこちらが笑顔になる人たちばかりで、何よりたくましいのです。いや、実は落語の中に出てくる若旦那は〝哲学的〟と言っても良いのかも知れません。中でも『二階ぞめき』の若旦那は、一周回って「これを本当にうつけと呼べるのだろうか」という概念が浮かんできました。「もしかして、二階ぞめきの若旦那は織田信長そのものではないか?」と。
毎晩、吉原遊郭に出向き夜遅くに帰ってきては開けてくれと戸を叩く若旦那。大店の跡継ぎがそんなことでは世間体が悪いと大旦那はご立腹。見かねた番頭が若旦那を呼び出して「このままでは勘当されます、それ程入れ上げる女がいるなら身請けしましょう」と持ち掛けます。

吉原遊郭
江戸幕府の公認を得て、日本一の遊郭として栄えた「吉原」。(『吉原遊廓娼家之図』歌川国貞/国立国会図書館所蔵)
すると、若旦那は「女はいいんだ、私は吉原が好き、吉原の空気が好きなんだ」と、毎晩冷やかし目的で出歩いていることを告げます。そう、この若旦那は吉原の冷やかしが大好きで大好きで、どうしようもない人だったのです。それを理解した番頭が「だったら、二階に吉原を作っちゃいましょう!」と、大工の棟梁に頼み、吉原そっくりのハリボテをこしらえさせます。
完成を知らされた若旦那は、わざわざ粋な縞の木綿着物に着替え、人払いをし、心躍らせ二階に上がっていきます。煌々と輝く灯りの中に、見返り柳(廓で遊んだ男たちが名残を惜しんで振り返る場所に生えている柳)や籬(まがき・目の幅で店のランクが決まっていた)、細部まで再現した期待以上の出来上がり。吉原のミニチュア版が家の二階に誕生したことに嬉しくなった若旦那、ハリボテ吉原の中を歩いて冷やかしごっこを始めます。冷やかし客、客引きの男、遊女と何役もこなしていると、途中で冷やかし客と遊女が喧嘩になる。そこに喧嘩の仲裁役も割って入れば、ドタバタギャーギャーと収拾がつかない程の大暴れ。
…ただし、全て若旦那たった一人でのこと(笑)「やかましい二階を静めて来なさい」と大旦那に命じられた丁稚が若旦那に声をかけると、「ここで私に会ったことは、家に帰っても親父には内緒にしておいて」と頼むのがサゲ(オチ)。

遊女
江戸時代の男たちは美しい遊女たちの夜な夜な豪華な遊行にふけったに違いない。とくに吉原遊郭は全国の男たちの憧れの的だった。(『全盛名妓揃』東京都立中央図書館蔵)
このオチが示すように、若旦那はハリボテでも夢中になって吉原を堪能しています。この若旦那にとって、吉原は人生において何よりも大切な生きがいだったはずです。しかし、二階に吉原が出来るという〝合理性〟を受け入れる素早さ。そして、そこで自作自演で孤独に遊んでしまうという〝即興性〟。この若旦那程〝破壊と想像〟を瞬時に実現してしまった人はいない。信長の凄みも実は同じで、武士の美徳と銘打った〝執着〟をいとも簡単に打ち壊すことが出来た。つまり、人間が一番失いたくないものを合理性というフィルターを通して即座に〝手放す〟ことが出来たのです。頭で考えていても実現させるのは難しい。きっと信長も『二階ぞめき』の若旦那も肌理(きめ)で判断している。それは最早説明可能な世界ではないのです。
しかし、あえてその肌感覚を言葉にするなら、「是非に及ばず」。これしかありません。打算的な理性で立ち止まるより、野生的な感性でつっ走れということです。いつの時代も、〝うつけ〟や〝アホ〟と呼ばれる人が世界を変えているのだと私は思います。