文化的〝関ヶ原の合戦〟⁉ 狩野探幽と左甚五郎利勝の両雄が掛川の宿に相まみえる!
桂紗綾の歴史・寄席あつめ 第22回
いよいよはじまった大河ドラマ『どうする家康』。文化も愛した徳川家康のお抱え絵師として活躍したのが狩野探幽である。今回は狩野探幽にまつわる逸話を交えて、大阪・朝日放送のアナウンサーでありながら、社会人落語家としても活動する桂紗綾さんに浪曲の話を語ってもらった。

徳川家康と掛川城
荒々しい戦国武将として成り上がり、征夷大将軍まで昇りつめた家康。
徳川家康の肖像画と言えば、束帯姿の「徳川家康像(東照大権現像)」。家康没後、徳川幕府御用絵師の狩野探幽が描いたものです。「徳川家康三方ヶ原戦役画像(しかみ像)」も有名ですね。家康が、生涯唯一の負け戦・三方ヶ原の戦い後、自戒のためその姿を狩野探幽に描かせたという。しかし、この伝承に史料的根拠はなく、最近はこれを見直す動きも。そもそも狩野探幽は慶長7年(1602年)生まれ、元和3年(1617年)幕府御用絵師に召し抱えられました。三方ヶ原の戦いは元亀3年(1573年)なので、探幽作はあり得ませんね。

家康しかみ像
もっとも知られる肖像と並び、家康の姿として知られるこの像も狩野探幽の作である。

狩野探幽像
16歳で江戸幕府御用絵師となった天才。家康の肖像だけでなく、大坂城障壁画、二条城障壁画など国家レベルの大事業に携わる。(京都国立博物館蔵/出典:Colbase)
狩野派中興の祖・狩野探幽は、家康が大権現である日光東照宮の造営に尽力しました。上神庫側面の二体の象は『想像の象』と呼ばれ、象を見たことがない探幽が想像で描いた下絵を基にしています。また、東照宮には名工・左甚五郎の彫刻『眠り猫』の存在も。現代ではその解釈は、「寝たフリをして、実際は家康の墓を護るため睨みを利かせている」説よりも、「裏側に二羽の雀の彫刻があることから、天敵の猫が眠る近くでも雀が飛べる〝平和〟を表している」説の方が有力と見られています。私は両方正解ではないかと思っています。左甚五郎の実在年は不明で、多くの伝説や演芸作品の中で大活躍する人物です。甚五郎が主役の『ねずみ』や『竹の水仙』は寄席でもよくかかるネタで、木彫りのねずみが動き出したり、竹で作った水仙が花を咲かせたり。甚五郎の作品には不思議な力が宿ると語られる程の名人ですから、「眠り猫」は単一の意味に止まらず、今にも動き出しそうな姿から〝徳川の威厳〟、雀と対になったメタファーで〝平和〟、更に眠るという行為により〝家康公の安らかな眠り〟等、様々な願いや想いも込められているような気がするのです。

日光東照宮の「眠り猫」
東照宮のなかでももっとも日本人に知られる彫刻のひとつ。家康の墓所へ向かう参道入り口に配されており「平和の象徴」として国民に親しまれている。
さて、浪曲『掛川の宿』に、狩野探幽と左甚五郎が二人揃って登場します。東海道中、掛川の遠州屋という立派な本陣宿へ汚い姿のお爺さんが一人。宿の前には「都合によりどなた様も向こう三日間は宿泊出来ません」と書いてある。聞けば「明日尾張のお殿様が参勤交代の途中で宿泊するため、他の者は一切泊まらせない」とのこと。ひねくれ者のお爺さんが無理矢理にも泊まろうとするので、番頭も高額をふっかけるが、格好の割に造作なく先払いする。番頭は仕方なく物置部屋をあてがった。

掛川宿
東海道のひとつの宿場として多くの人が往来。名所旧跡が多く、浮世絵や和歌・俳句の題材になることが多い宿場でもあった。(国立国会図書館蔵)
続いてやってきたのが左甚五郎、先程のお爺さんとよく似たやり取りで同じ部屋に通される。両者変り者が故、挨拶をしないどころか一言も交わさず、背中合わせに一升ずつのお酒を飲み、一組の布団で頭を互い違いにして寝る始末。お爺さんが夜中に起きてはばかりへ。お殿様をもてなすため宿が必死で用意した離れの座敷にふらふらと、便所の草履のまま入っていく。「尾張の殿様とは知らん仲でもない、置き土産になんぞ描いてやろ」金屏風にさささ~と千羽の雀を描いた。下部に自分の名前を小さく入れた後、墨の入った器を蹴飛ばしてしまい、畳も草履も墨だらけ。そのまま部屋に戻り布団に入ったので、甚五郎の手が墨で真っ黒に。ぶつぶつ文句を言いつつ手洗いに立ち、同じく離れに入れば、汚れた畳と金屏風に真新しい墨で見事な絵が描かれている。「あの親爺が描いたんか!?」もっと驚いたのが、修行をやり直すため旅に出て15年間消息不明という日本一の絵師・狩野探幽斎の署名。
「まさか…世が世なら側へも寄れない位の御方。そうか、親爺は尾張のお殿様と友達や…わしも殿様とは知らん仲ではないし、なんぞ彫ったろ」
肌身離さず持っているノミで床柱に穴を開けて、あっという間に大黒さんを彫り上げた。「これだけのもの彫っといたらあの絵に負けはせん」雀の絵も大黒さんの彫刻も芸術がわかる人にはとんでもない代物ですが、宿屋にバレる前にとんずらしようと親爺…もとい狩野探幽斎を起こして二人ですたこら逃げてしまう。カンカンの宿屋は逃げる二人を捕まえて縛り上げます。そこへお越しのお殿様は、部屋に入り「日本一の絵師・狩野探幽斎、日本一の棟梁・左甚五郎利勝のお二人の作じゃ!」と身震い。青ざめた宿屋勢が二人に許しを請うも、いけずな両名。お殿様が間に入りようやく一件落着。両雄相対する関ヶ原の合戦も良いですが、今なら文化勲章ものの双璧アーティストの邂逅も聴きどころ満載の一席です。