落語で「吟味」するお裁きモノ!〜スカッと爽やか、勧善懲悪を味わって〜
桂紗綾の歴史・寄席あつめ 第20回
江戸の「お裁き」。時代劇などでも人気を集める奉行が行っていた、いまでいう裁判である。ここでは『落語』の演目となっている「裁きもの」について、みんなが知っている偉人を交えて、大阪・朝日放送のアナウンサーでありながら、社会人落語家としても活動する桂紗綾さんに語ってもらった。

江戸町奉行のお裁き
領内の町方の行政・司法を担当する役職で町奉行とのみ呼ぶ場合は幕府。旗本の町奉行の石高は3000石程度で、江戸の民政を担当する。(『遠山桜天保日記』 豊原国周筆/東京都立中央図書館蔵)
皆さんが〝お奉行様〟と言われて思い浮かぶのは誰でしょう。私は『遠山の金さん』こと、江戸北町奉行・遠山金四郎影元(とおやまきんしろうかげもと)です。時代劇大好きっ子でしたから、よく「この桜吹雪、忘れたとは言わせねぇぜ」と片肌を脱ぐ金さんごっこをしたものです。実はそんな金さんの象徴である刺青が入っていたのか否か、はたまた入っていてもどんな絵柄だったか定かではないというのだから驚きです。〝日本史の新常識〟と題する『歴史人』11月号は、このように「実は違ったのか!」と、自分の知る歴史が覆ることに何度も衝撃を受ける一冊です。
町奉行とは官職の一つで、行政長官、警察官、裁判官等の役割でした。時の老中・水野忠邦(みずのただくに)は天保の改革で風紀統制のため、歌舞伎小屋の移転や寄席の撤廃を計画しますが、金四郎は断固反対。町民を第一に思える人徳者だったという点は、今も変わらない歴史のようです。

南町奉行所跡
「大岡越前」として知られる大岡忠相や「遠山の金さん」こと遠山金四郎影元が通った奉行所。現在の東京・有楽町に残る。
さて、落語にも人情に厚く聡明な名奉行が活躍する噺が存在します。大阪西町奉行・松平大隅守信敏(まつだいらおおくまのかみのぶとし)が名裁きを見せる『帯久』(江戸落語では南町奉行・大岡越前守忠相)。実際は大阪東町奉行だった佐々木信濃守顕発(ささきしなのかみあきのぶ)が大阪西町奉行として登場し、町人の息子を与力に青田買いする『佐々木裁き(佐々木政談)』(江戸落語では南町奉行)。講談の『大岡政談』を落語化した『三方一両損』や『大工調べ』『小間物屋政談』。

『扇音々大岡政談』
最も有名な江戸時代の奉行として名があがるのが大岡忠相。大岡は8代将軍で『暴れん坊将軍』の側近として南町奉行を務め、享保の改革にも貢献した名奉行である。(東京都立中央図書館蔵)
これらは実在の人物を描いたものですが、誰がモデルか判明しない奉行噺が『鹿政談』。奈良が舞台の上方落語で、登場するのは奈良町奉行・曲淵甲斐守景漸(まがりぶちかいのかみかげつぐ)です。しかし、実際には曲淵が奈良町奉行を務めたことはなく、根岸肥前守衛奮がモデルの可能性も噂されています。他には架空の人物・松本肥後守が出てくるケースや、町人に慕われた奈良町奉行・川路聖謨(かわじとしあきら)を起用して欲しいという落語ファンの声から、人間国宝・桂米朝さんが川路を『鹿政談』の奉行にしたパターンもあります。

川路聖謨
川路は幕臣であり、海外事情に通じた人物で、開明的な考えの持ち主であった。勘定奉行などを務めるとともに海防掛を務めた。(国立国会図書館蔵)
『鹿政談』とは、奈良では春日大社の使いである神聖な鹿を殺めれば〝死罪〟という厳しい取り決めがある中で、誤って鹿を殺してしまった豆腐屋が主人公です。三条横町で豆腐屋を営む六兵衛は正直者の老人で、いつも朝早くから豆腐作り。きらず(おから)を桶に入れて表に出していると、大きな犬が桶に頭を突っ込んできらずを食べています。追い払おうと割木を投げ付けたが、当たり所が悪く死んでしまう。近づいてみれば、それは犬ではなく鹿でした。当時奈良を実効支配していた興福寺の伴僧・良然と鹿の守役・塚原出雲が早速六兵衛を訴え、奈良町奉行所で取り調べが行われます。
奉行の曲淵甲斐守は、六兵衛への情けから「その方、奈良の生まれではあるまい。生まれは何処であるか?」と、掟を知らなかったのだろうと誘導するも、正直者の六兵衛は生まれも育ちも三条横町だと答えたため誘導は失敗。続いて奉行は鹿の死骸をその場へ持って来させ「鹿にしては肝心の角がない、毛並みは鹿によく似ているが、これは犬だ。犬ならば罪は無し」と下知、役人や町役も皆これに同意しました。しかし塚原出雲がこれは鹿だと言い張り〝鹿の落とし角〟について説明し始めると、その言葉を遮り「黙れ!奈良の奉行を務むる身が、鹿の落とし角、袋角を存知おらぬと思いおるか。その方、あくまでも鹿と言い張るならば、尋ねなければならぬことがある」と、出雲が鹿の餌代を横領していると、不正を問い質します。餌がなく、ひもじい鹿が町をうろつき、人のものを盗み食いしている。それは神慮でなく俗類であり、打ち殺されても仕方がない。鹿と言うのならば、まず餌料横領から吟味すると迫ると、出雲はこれは犬であると答え、角があった部分は腫物の痕だと苦しい言い訳をします。これにて六兵衛は無罪放免、一件落着となったのです。
「犬だと思ったが実は鹿だった。しかし、名裁きによって鹿が犬になった」町人への慈愛に満ちた名奉行が事実を覆した「実は違ったのか!」な、お噺でした。