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【ランキング】近代国家・日本を作った重要人物は?


「近代国家」が始まった明治時代。今回のアンケートは、「近代国家・日本を作った重要人物は誰か?」について集計しました。341票の投票から、第5位から第1位までを発表します。 <総票:341票  男性:女性=8:2>


近代国家日本を作ったその生涯は、大河ドラマでも描かれました。写真は渋沢栄一「近世名士写真」より。国立国会図書館蔵

 

第5位 「勝 海舟」 投票数:36票 

 

 第5位には、36票を獲得して「勝海舟(かつ・かいしゅう)」が選ばれました。慶應4年(明治元年・1868)年に、西郷隆盛とともに「江戸城無血開城」を成し遂げた人物として、その名を覚えている人は多いことでしょう。

 

 勝海舟は、現在の墨田区に貧しい旗本の家に生まれました。オランダの書物を書き写すなど、若い頃から西洋の学問にも熱心で、27歳の時には蘭学塾を開きました。

 

 嘉永6年(1853)、ペリーの来航を目の当たりにし、身分を問わない有用な人物の登用や軍艦建造を書いた「海防意見書」を幕府に提出。才能を見出されます。そして、スクリュー式蒸気軍艦「咸臨丸(かんりんまる)」で渡米し、日本に帰ると神戸に海軍の学校を設立するなど、近代海軍の育成・強化に務めました。ここで幕臣たちだけでなく攘夷派の志士の教育もしており、木戸孝允(きど・たかよし)や西郷隆盛(さいごう・たかもり)、坂本龍馬(さかもと・りょうま)とも出会っています。

 

 徳川慶喜(とくがわ・よしのぶ)が大政奉還を行ったのちに朝廷方と幕府方が武力衝突し戊辰戦争が始まりますが、その後、鳥羽・伏見の戦いで敗れた慶喜から頼まれ和平交渉を行い、これが「江戸城の無血開城」となりました。この時、海舟は45歳でした。

 

 維新後も明治政府の要職に就き政界で活躍。晩年は徳川慶喜を明治政府に赦免させるなどし、最後は「コレデオシマイ」という言葉をのこし、75歳の生涯を終えました。

 

 勝を推す人からは、「勝海舟がいなければ、江戸城無血開城もなく、日本の歴史は大きく変わったと思う」「鎖国時代で閉鎖的な考え方の人が多い中、世界に目を向けていた稀有な人物」などど、その業績を評価する声が多く寄せられました。

 

 

 

第4位 「坂本龍馬」 投票数:44

 

 第4位は、5位の勝海舟のもとで海軍についての知識を学んだ「坂本龍馬」で44票。幕末に活躍した人物として人気が高い龍馬は、やはり「近代・日本」の扉を開けた人物として、多くの人がその名を思い浮かべるようです。龍馬は、諸外国からの圧力が高まる中、当時の幕府では「日本を守ることはできない」と考え、幕府を倒して天皇の下で統一された国家を作るべきだ」と考えた、討幕派の一人でした。

 

 土佐藩郷士の家に生まれるも脱藩。その後は志士として薩長同盟の成立に協力するなど、倒幕と明治維新に関わりました。脱藩後、5位に選ばれた勝海舟の元を訪ね世界情勢の話を聞き、スケールの大きい海舟に感動し弟子となり、神戸海軍操練所の創設にも奮闘しました。

 

 また、長崎で日本で初めての株式会社ともいえる「亀山社中(かめやましゃちゅう)」、後の海援隊を結社。龍馬は航海術の修行をするとともに、薩長両藩など武器・艦船の輸入を仲介、海運業に従事。その後、独自の国家構想の基本方針「船中八策」を作りますが、有名な「近江屋事件」で、慶應3年(1867)11月に中岡慎太郎(なかおか・しんたろう)とともに暗殺。33歳の生涯を閉じました。

 

 票を投じた人の多くが、薩長同盟や大政奉還を進言したこと、そして船中八策の提案という龍馬の仕事を理由に挙げています。「有名な言葉、”日本を今一度せんたく(洗濯)いたし申候”が龍馬の人生を物語っていると思う。まさに洗濯して、新しい国家を作ることに奔走した人物」という熱いコメントもありました。

 

 

第3位 「西郷隆盛」 投票数:50 票 

 

  第3位は、龍馬より6票上回る50票を獲得した西郷隆盛でした。薩摩藩のリーダーとして、5位の勝海舟とともに、江戸城無血開城を成し遂げた、幕末・維新の重要人物の一人。大久保利通(おおくぼ・としみち)や木戸孝充とともに、「維新の三傑」と呼ばれました。

 

 下級藩士の家に長男として生まれ、やがて薩摩藩主・島津斉彬(しまづ・なりあきら)に重用されて藩政に関わるようになったことはご存じの通り。斉彬の死後、奄美大島、さらに徳之島に配流されますが、幼馴染・大久保利通らの進言もあって、藩主・島津久光(しまづ・ひさみつ)に放免召喚され、以後は薩摩藩リーダーの一人として活躍します。

 

 坂本龍馬の仲介を経て、長州藩・桂小五郎(かつら・こごろう)と会談し、薩長同盟を締結。戊辰戦争では旧幕府軍を倒し江戸に進軍するも、勝 海舟と会談し江戸城無血開城を実現。新政府となってからは、版籍奉還や廃藩置県、さらに地租改正など近代国家としての改革を進めることにも尽力しました。

 

 鎖国中の朝鮮を武力で開国させようとする「征韓論(せいかんろん)」を板垣退助(いたがき・たいすけ)らとともに主張し、それに反対した大久保利通や岩倉具視(いわくら・ともみ)に論争で敗れ、西郷は政府を去ります。その後、地元・鹿児島に戻って私学校で教育に専念していましたが、不平士族に促されて挙兵。明治10年(1877)に勃発した西南戦争は結局、新政府軍が勝利する結果となります。城山の戦いで銃弾を受け負傷し最後を覚った西郷は、「ここらでよか」と別府晋介(べっぷ・しんすけ)の介錯で最期を迎えました。

 

 西郷こそ近代日本の立役者という人は多く、「その行動力と活動力は誰にも負けない」「江戸城無血開城という幕府倒幕が何といっても大きい。これなくしては日本は近代国家の扉を開けることはできなかったのだから」などという意見が集まりました。

 

 

第2位 「大久保利通 投票数:68

 

 第2位に選ばれたのは、西郷隆盛と同じく維新の三傑といわれた「大久保利通」。

 

 薩摩の下級藩士の家に生まれ、加治屋町の藩校で西郷隆盛らと一緒に学問を学びました。3歳上の西郷とともに、藩主・島津斉彬に登用され、尊王攘夷を掲げる若手リーダーの一人でした。島津久光のもとでは、公武合体運動を推進し藩政の中枢人物として活躍します。

 

 その後は、西郷とともに薩長同盟を締結するなど、藩の方針を超えて武力による倒幕へと向かって行きました。そして王政復古によって江戸幕府が終焉し、新たに樹立された明治政府でも、利通は指導者の一人として内政の中枢を担います。版籍奉還、続いて廃藩置県を断行。また地租改正を提案。殖産興業政策を発足し、富国強兵を目指したのです。

 

 明治4年(1871)、遣欧使節団に随従し、帰国後は内務省の長官に就任。事実上、明治政府の実権を掌握しました。同時に西南戦争などの士族による乱も鎮圧し、天皇を頂点とする明治政府の強化を推し進めました。官僚組織による政策を実行するなど、まさに日本の近代政治家像を作ったといえます。

 

 大久保利通には、こうした政治・経済面での活躍を評価するコメントが数多く寄せられました。「殖産興業と富国強兵策を主導し、国家の型の方向付けをした」「省庁・官僚など国の行政組織の基礎を作った」「この人こそ明治国家の骨格を作ったと思う」。また「維新前は西郷隆盛と木戸孝充、維新後は大久保利通」という意見もありました。

 

 

第1位 「渋沢栄一」 投票数:70 

 

 第1位には70票を得て「渋沢栄一(しぶさわ・えいいち)」が選ばれました。銀行や海運・造船業を始めとする500以上もの会社設立に関わった「資本主義の父」と称される人物です。

 

 現在の埼玉県深谷市の農家に生まれた渋沢は、尊王攘夷思想の影響を受け、高崎城乗っ取り計画を立てますが中止。その後、一橋慶喜(ひとつばし・よしのぶ)に仕えて認められます。慶喜の実弟である徳川昭武(とくがわ・あきたけ)の訪欧使節団に随行、パリ万国博覧会を見学するなど欧州の実情を大いに学びました。

 

 帰国後は、静岡に日本初の合本組織「商法会所」を設立。その後、明治政府で大蔵省の一員として招かれます。富岡製糸場を始めとする殖産興業政策に大いに貢献し、日本の経済の牽引役として活躍したわけです。大蔵省を辞した後も、日本初の銀行「第一国立銀行」を創設し、さらに製紙会社やガス会社、保険会社など500を超える会社の設立に奔走しました。

 

 福祉や教育機関の支援など社会公共事業や民間外交にも熱心に取り組み、昭和6年(1931)に91歳の生涯を終えました。

 

 「株式会社制度を整え普及させ、銀行を作り……現在の日本経済はこの人によって始まったと言っても過言ではないと思います」「現代日本に今なお続く多くの会社設立に関わった人物が、他にいるだろうか」「その偉業を知るほどに、近代日本の礎を築いたのはこの人だと痛感させれます」などと、渋沢栄一の圧倒的な活動ぶりに感嘆するコメントが数多くありました。

 

 

 

(アンケート…メールとハガキで集計。総票数:341票)

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