カップルが聖バレンタインに感謝すべき理由─バレンタインデーの本当の歴史を知ってますか?─
年中行事の昔
日本では女の子が男の子にチョコをわたして「愛を告げる日」として定着し、男女問わずハラハラドキドキする日だが、その起源はまったく異なり、ローマ市民のために立ち上がった聖人を祭る聖日だったという。
■若者の愛を応援したウァレンティヌス司祭

ローマ帝国の象徴であるコロッセオ。古代ローマ時代は戦いが尽きない時代であった。
もともとバレンタインは、「ウァレンティヌス」というローマ帝国時代を生きた司祭の名前が由来である。西暦269年の2月14日は、ウァレンティヌス司祭が処刑された日であり、その死を悼むという意味も込めて、祭りごとの対象日となった。
当時のローマ皇帝クラウディウス2世は、「若者が戦争を忌避するのは、故郷に残る家族や恋人と離れ難(がた)くなるからだ」として、結婚を禁じていた。未婚のまま戦地へ送られる若者たちを不憫(ふびん)に思ったキリスト教司祭・ウァレンティヌスは、若い兵士の結婚式を、内密に執り行っていた。
皇帝はその事実を知り、司祭を問い質しつつ、二度と法に背かないよう命じる。しかし彼は拒否したため、死罪となり、還らぬ人となってしまった。その後、ウァレンティヌスは「聖バレンタイン」という聖人として、世に知れ渡ることになる。
こうした経緯を踏まえ、逝去日である2月14日は、ウァレンティヌスの死を悼む日として位置付けられた。さらに時が過ぎると、愛に生きた彼にちなみ❝愛する人に告白する❞風習が生まれた、というわけである。
1644年には、ウァレンティヌスにはローマ教会にて聖人の称号が与えられ、テルニの街の守護聖人となった。彼にまつわる数々の逸話や、他の様々な習慣が混合し、20世紀になると、現代に見られるような、男女が愛を告白する日として定着が進んでいった。
■日本のバレンタインは商魂のたまもの!?

2月14日はバレンタインデー。そこには血塗られた歴史と、愛を守り抜いたひとりの聖人がいた……
上記のような由来を持つバレンタインデーだが、日本における様相とはかなり異なっている。文化の違いといえばそれまでだが、なぜ我が国では、今のような形を取るようになったのだろうか。
日本にバレンタインデーという言葉が誕生したのは、第二次世界大戦後、1960年前後といわれている。戦後の復興機運の中で、どちらかというと、流通業界による販売促進の狙いが強かったようだ。外来の流行を使って商売をしよう、という商人魂だろう。
当初はチョコレートに限らず、化粧品や衣服も、プレゼントとなっていたようだ。またあげる相手も、恋人や好意を持つ人に限らず、家族や友人同士の間で、贈り物のやり取りがあった。
バレンタインといえばチョコレート、という文化を浸透させたのは、メーカーの戦略という説が有力だ。元来宗教から端を発した祭事であるが、年中行事のひとつとして認識されることになった事実は、各メーカーの販促が見事成功した証左ともいえる。
■さまざまな“愛”を贈る世界の恋人たち

メキシコ国旗
日本以外の国に目を向けると、バレンタインデーの様子は千差万別、国々によってかなり異なっている。
例えばアメリカでは、日本とは逆に、男性から女性にプレゼントを渡すのが慣例だ。情熱の国・メキシコでは愛する人のために歌を、タイではバラの花束を贈るそうだ。いずれもアメリカ同様、男性から女性に向けて行われることから、日本の形式は、世界的に見ると珍しいかもしれない。奥ゆかしい大和撫子だからこそ、愛情を表現する機会が与えられた可能性もある。
最近では、義理の代わりに友チョコが流行るなど、徐々に形も変わりつつある。しかし、いずれにしても、大切な人に愛や感謝を伝える日に変わりはなさそうだ。前述の起源、ウァレンティヌス司祭に思いを巡らせながら、様々な形で2月14日という日を楽しむのも悪くはないだろう。