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天下統一を果たした徳川氏! そのルーツとなった「松平親氏」の戦いに迫る!

家康の先祖「松平氏・国盗り物語」【第1回】松平親氏(徳阿弥)


徳川家康(とくがわいえやす)のルーツは三河(みかわ)地方の地方勢力であった松平(まつだいら)氏にある。松平氏はどのように生まれ、戦国初期の抗争を生き延び、そして徳川家康を輩出したのか? その経緯と歴史的背景をわかりやすく解説する。


松平氏の開祖となった松平親氏を模した銅像。像は徳川家康のルーツである松平ゆかりの地である松平郷(愛知県豊田市)にある。

 桶狭間(おけはざま)合戦後に織田信長(おだのぶなが)と結び、西三河で勢力を確立した松平元康(まつだいらもとやす/徳川家康)は永禄9年(1566)、朝廷に「徳川姓への復姓」を願い許された。家康は25歳。血気に逸(はや)る青年武将であった。

 

 その後、清和源氏を祖先とし、源頼信(みなもとのよりのぶ)~頼義(よりよし)~義家(よしいえ)と繋がる源氏嫡流の流れを称するようになる。義家~義国(よしくに)~義重(よししげ/新田家祖先)こそが源氏の嫡流であり、家康は、その流れから「新田(にった)氏」さらには「得川(とくがわ)氏」を経て「世良田(せらだ)氏」を称して、松平に至った、というのである。家康以前の松平氏について考察してみたい。

 

 

『新田嫡流得川松平家』系譜によれば、この得川四郎義季(とくがわしろうよしすえ)が、家康の遠祖とされる。その子が「世良田三郎頼氏」を名乗り、9代親氏(ちかうじ)が「松平氏」を名乗るようになり、その8代後に家康が誕生する。つまり親氏こそが、得川将軍家の始祖とされるのである。

 

 この9代親氏については「初め徳阿弥と号す。子の時初めて三河国松平の郷に移住す」というエピソードが伝えられている。しかし、親氏の実在については「?」マークが付けられるほど、歴史的存在としては不明で証明が難しい。

 

 とはいえ徳川家の歴史『得川譜』には「上州・世良田出身の徳阿弥という時宗の僧が諸国遊行中に三河国碧海郡大浜の称名寺にやってきて住み着いた。還俗して親氏と名乗り、同郡坂井郷の土豪・坂井五郎左衛門の婿となり、後に「酒井氏」の祖となる男児をもうけたが、妻と死別したために今度は加茂郡松平郷の有豪族・松平太郎左衛門の養子となって松平家を相続、松平太郎左衛門親氏と名乗って、付近の小豪族17人を配下に置く小領主となった・とある。ここから家康の祖先による「三河国盗り物語」が始まるのであった。愛知県豊田市にはこの親氏の像が建てられている。

 

 親氏の子(弟ともいう)・泰親(やすちか)が跡目を継ぎ、世良田三河守を自称して、松平郷から三河平野を臨む額田郡(ぬかたぐん)岩津・岡崎に進出した。蚕(かいこ)が桑の葉を食べるように、徐々に三河を我がものにしていく松平氏の3代・信光(のぶみつ)は父・泰親の跡を継ぐと、さらに精力的に領地を拡大し、岡崎から碧海郡(ひきかいぐん)の安城(あんじょう。安祥)に出て、さらに三河平野を下り三河湾にまで進出した。

 

 この時期前後の三河・尾張(おわり)・駿河(するが)・遠江(とおとうみ)の関係を見ると、駿河・駿河の守護は今川氏だが、尾張は斯波(しば)氏、三河は吉良(きら)氏が守護であった。その後、尾張は織田信秀(おだのぶひで)が簒奪(さんだつ)し、三河は元来、吉良氏が守護として君臨していた。しかし、吉良氏が東条・西条の両家に分かれて内紛を起こし、支配権が徐々に失われていく過程にあった。吉良氏は、今川氏以上の名門で「足利将軍家に相続人がいない時には、吉良氏が継ぎ、吉良氏になければ今川氏が継ぐ」と言われてきたように、家格は高かった。そこに、家康の6代前の当主・松平信光が三河国の簒奪を謀(はか)ろうとしていたのだった。

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江宮 隆之えみや たかゆき

1948年生まれ、山梨県出身。中央大学法学部卒業後、山梨日日新聞入社。編制局長・論説委員長などを経て歴史作家として活躍。1989年『経清記』(新人物往来社)で第13回歴史文学賞、1995年『白磁の人』(河出書房新社)で第8回中村星湖文学賞を受賞。著書には『7人の主君を渡り歩いた男藤堂高虎という生き方』(KADOKAWA)、『昭和まで生きた「最後のお殿様」浅野長勲』(パンダ・パブリッシング)など多数ある。

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