『三国志』の宴会に登場する三本脚の酒器は、酒を飲むための道具ではなかった?
ここからはじめる! 三国志入門 第72回
実際に爵はいつ頃まで使用されていたのか?

左が古来の儀礼用とみられる爵(しゃく)、右が三国時代に実際に使われていた耳杯(じはい)。洛陽博物館(河南省)にて筆者撮影。
ただ、この爵が、いつごろまで実際に使われていたのか、ハッキリと分かっていない。実は中国の青銅礼器のうち、爵はもっとも古い形式に分類されている。実際、中国各地で出土して博物館に展示されている爵は、殷から周(しゅう)あたりまでのものが大半だ。
春秋戦国時代以降の遺跡からはあまり見られず、どうやら廃れていたようだ。ということは、三国志の時代(漢)には使われていなかったのかもしれない。
では、実際にはどんな酒杯が使われていたのか。それは2枚目の写真右側にある「耳杯(じはい)」と呼ばれるものだ。コップというより、平たい盃に取っ手(耳)がついたもので、これで酒をあおっていたのである。
陶製・青銅製のものがあり、これらは曹植(そうしょく)、朱然(しゅぜん)といった三国時代の人の墓から出土しているので、彼らの時代に使われていたのは間違いない。
『三国志』の映像作品では爵と耳杯が併用されるケースが多い。公的な儀礼や酒宴の場では、より豪華に見える爵が使われ、私的な宴や軍中で酒が出されるときは耳杯あるいは、もっと簡素な平たい盃が出てくる作品もある。当時も、そのように使い分けられていたのか。あるいはドラマの作り手の作為か、色々と考えてみるのも面白い。
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