×
日本史
世界史
連載
ニュース
エンタメ
誌面連動企画
歴史人Kids
動画

『三国志』の宴会に登場する三本脚の酒器は、酒を飲むための道具ではなかった?

ここからはじめる! 三国志入門 第72回

実際に爵はいつ頃まで使用されていたのか?

左が古来の儀礼用とみられる爵(しゃく)、右が三国時代に実際に使われていた耳杯(じはい)。洛陽博物館(河南省)にて筆者撮影。

 ただ、この爵が、いつごろまで実際に使われていたのか、ハッキリと分かっていない。実は中国の青銅礼器のうち、爵はもっとも古い形式に分類されている。実際、中国各地で出土して博物館に展示されている爵は、殷から周(しゅう)あたりまでのものが大半だ。

 

 春秋戦国時代以降の遺跡からはあまり見られず、どうやら廃れていたようだ。ということは、三国志の時代(漢)には使われていなかったのかもしれない。

 

 では、実際にはどんな酒杯が使われていたのか。それは2枚目の写真右側にある「耳杯(じはい)」と呼ばれるものだ。コップというより、平たい盃に取っ手(耳)がついたもので、これで酒をあおっていたのである。

 

 陶製・青銅製のものがあり、これらは曹植(そうしょく)、朱然(しゅぜん)といった三国時代の人の墓から出土しているので、彼らの時代に使われていたのは間違いない。

 

『三国志』の映像作品では爵と耳杯が併用されるケースが多い。公的な儀礼や酒宴の場では、より豪華に見える爵が使われ、私的な宴や軍中で酒が出されるときは耳杯あるいは、もっと簡素な平たい盃が出てくる作品もある。当時も、そのように使い分けられていたのか。あるいはドラマの作り手の作為か、色々と考えてみるのも面白い。

KEYWORDS:

過去記事

上永哲矢うえなが てつや

歴史著述家・紀行作家。神奈川県出身。日本の歴史および「三国志」をはじめとする中国史の記事を多数手がけ、日本全国や中国各地や台湾の現地取材も精力的に行なう。著書に『三国志 その終わりと始まり』(三栄)、『戦国武将を癒やした温泉』(天夢人/山と渓谷社)、共著に『密教の聖地 高野山 その聖地に眠る偉人たち』(三栄)など。

最新号案内

『歴史人』2025年10月号

新・古代史!卑弥呼と邪馬台国スペシャル

邪馬台国の場所は畿内か北部九州か? 論争が続く邪馬台国や卑弥呼の謎は、日本史最大のミステリーとされている。今号では、古代史専門の歴史学者たちに支持する説を伺い、最新の知見を伝えていく。