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Ifの信長史 第5回~謀叛人・光秀は信長と雌雄を決するために~

焼け落ちた本能寺に信長の遺体なし

信長一行は大船に乗り大津から安土へ

安土城

1万の軍勢で安土城を取り囲む明智軍 CG製作/中村宣夫

 幸い、明智方に見咎められることもなく大津まで達した。いささか難儀だったのは岸辺に明智勢が警邏の陣を敷いていたことだったが、これは供廻りの者が群がり掛かり、薙ぎ倒した。

 

 かくして信長一行は繋留されていた大船に乗り込むや、沖へ向かって無事に漕ぎ出した。琵琶湖で最大の船を止めさせる手だては明智方のどこにもなかった。大船の出航に色めき立った坂本城の城兵は、琵琶湖に突き出した本丸から追っ手の舟を繰り出してはきたものの、どれだけ矢を射込まれようと、佐和山の大船はびくともしなかった。

 

 本能寺から阿弥陀寺、阿弥陀寺から大津、大津から安土へと信長の動きはきわめて迅速だったが、光秀もまた決して遅れはとっていない。大津でこそ取り逃がしたものの、安土城へ信長が逃げ込むのは、本能寺で信長の生死を確かめられなかったときから、いや、老ノ坂において「敵は本能寺にあり」と叫んだときから、予想していた。

 

「ならば、攻めるまでよ」

 

 と、光秀は覚悟した。ひとたび謀叛を仕出かした以上、もう、信長と雌雄を決するより他に光秀の進むべき道はない。光秀は京にわずかな兵を残し、ほぼ全軍を上げるかたちで出陣、一路、安土へと向かった。

 

 かくして天正10年(1582)6月5日、籠城する信長と包囲する光秀によって安土城の攻防戦が繰り広げられることとなった。ただ、いかに安土城が天下第一の堅城とはいえ、蒲生賢秀の手勢に本能寺と妙覚寺から逃れてきた小勢を足したくらいでは守ろうにも守りようがない。徐々に形勢は不利なものとなった。

(次回に続く)

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秋月逹郎あきづき たつろう

作家。歴史小説をはじめ、探偵小説から幻想小説と分野は多岐にわたる。主な作品に『信長海王伝』シリーズ(歴史群像新書)、『京都丸竹夷殺人物語: 民俗学者 竹之内春彦の事件簿』(新潮文庫)、『真田幸村の生涯』(PHP研究所)、『海の翼』(新人物文庫)、『マルタの碑―日本海軍地中海を制す』(祥伝社文庫)など

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