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酷い悪の仕打ちを見せる芸風−−女性千人切りを達成した7代目【片岡仁左衛門】

江戸っ子が熱狂した歌舞伎役者たち【第3回】


江戸時代の上方歌舞伎を代表する名優・片岡仁左衛門(かたおかにざえもん)。敵役をリアルに演じるその怪演ぶりで人気を博した。初代から7代目までの足跡を辿る。


「隈取り」という歌舞伎独特の化粧法で、その役柄によりデザイン、色が決まっている。イラストは「筋隈」という正義の味方を表現したもの。

 片岡仁左衛門という名跡は、元禄期の大坂を代表する役者であり、中村勘三郎家同様に息が長く続いている家系である。初代仁左衛門は、藤川伊三郎という三味線弾きであったと伝わる。それが役者になって、石川五右衛門・宿無団七(やどなしだんしち)・酒呑童子(しゅてんどうじ)などを当たり役とした。そうした功績から「敵役の名優」と呼ばれた。眼光鋭く、睨(にら)みの恐ろしさ、肉を引き裂く芝居の口元などは、とても本当の人間には見えなかったといわれる。「三国無双」という名声を得た初代は、のちには立役(男役)を演じるようにもなっている。

 

 だが、2代目以降は早死にするなど長続きしない続き、4代目以降は30年間も仁左衛門という名跡は絶えていた。こうした断絶を経て、仁左衛門の名跡を復興したのが7代目であった。7代目は仁左衛門家の「中興の祖」とされている。京都出身の7代目は、初代とは血縁関係にはないが、その襲名は天明7年(1787)、33歳の時であった。7代目は、初代以来の仁左衛門が得意としていた敵役や実悪(じつあく/現実にいるような悪人の役柄)を演じた。しかし、仁左衛門を襲名後は立役にも芸風の範囲を広げ、さらには女形(おんながた)まであらゆる芸を演じる万能プレイヤーになった。

 

 7代目は大坂を代表する役者として重きを為したが、江戸にも下って評判を取っている。しかし大きな特長はずば抜けた「長寿」であった。天保8年(1837)まで実に83歳の長寿を保ち、しかも死亡する3カ月前まで舞台に立ち続けていたというから普通ではない。舞台生活は70年に及び、その間に病気で欠場ということは一度もなかった。また伝説的に語られるのが「生涯に1千人の女性を愛する」という願を掛け、それを達成した(つまり、女の「千人切り」を実行した)ことである。

 

 7代目の実子は先立っており、弟子筋から養子に取った片岡我當(かたおかがとう/後に我童)が8代仁左衛門を名乗った。この8代目の系統が現在に繋がる片岡仁左衛門の名跡の元祖になっている。8代目は、それまでの仁左衛門とは異なった芸風を見せた。身体はやや小柄だが、男ぶりは良く、和事(わごと/濡れ場などを演じる柔弱な男の行動)を本領とした。敵役・実悪といった仁左衛門家の名跡に和事という別の血を入れ込んで大きく芸風を変えたのが8代目であった。8代目は、安政元年(1854)に初めて江戸に下って江戸芝居に立った。ちょうど8代目團十郎(だんじゅうろう)が大坂で謎の死を遂げた直後とあって、團十郎の面影に似た仁左衛門は人気を得たという。仁左衛門を襲名した8代目は、江戸・中村座の座頭となって活躍した。

 

 以後、仁左衛門家は明治・大正・昭和を通じて芸風と名跡を残し乍(なが)ら、現在に続いている。

 

 

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江宮 隆之えみや たかゆき

1948年生まれ、山梨県出身。中央大学法学部卒業後、山梨日日新聞入社。編制局長・論説委員長などを経て歴史作家として活躍。1989年『経清記』(新人物往来社)で第13回歴史文学賞、1995年『白磁の人』(河出書房新社)で第8回中村星湖文学賞を受賞。著書には『7人の主君を渡り歩いた男藤堂高虎という生き方』(KADOKAWA)、『昭和まで生きた「最後のお殿様」浅野長勲』(パンダ・パブリッシング)など多数ある。

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