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上杉謙信・武田信玄を手玉にとった凄腕のフリーランス忍者【飛び加藤】とは?

乱世を席巻した忍びの者たち 第4回 


跳躍術、幻術など忍者として類まれな能力をもっていた「飛び加藤」。上杉謙信や武田信玄も恐れた異能の力とは? 謎多きその来歴と数々のエピソードを紹介する。



「飛び加藤」は司馬遼太郎などの多くの歴史小説に、癖の強い1匹狼として登場している。上忍から仕事を斡旋してもらうのではなく、自ら仕事を受注したいることから、かなりの技量を持っていたことに間違はいない。

 忍びの者は、幻術(目眩まし)や跳躍術・変装術や早駆けなどで、常人を凌ぐ働きをした。それぞれ個人差もあって、得意な分野があった。加藤段蔵(かとうだんぞう)は、中でも飛んだり跳ねたり、あるいは空を飛ぶ術に格別優れていたことから、自他共にそれを認め「飛び加藤」<鳶加藤>と称された。

 

 その出身は自称「伊賀忍者」でありながら、常陸の出身とも、相模・風魔小太郎(ふうまこたろう)の配下ともされるが、実際のところは不明である。『近江輿地志略』には「永禄(1558~69)の頃、鳶加藤という者、最妙手の名あり」として、忍びの名人である由が記されている。しかも段蔵は、相当の自信家だったから様々な戦国大名に赴いて自らを売り込んだ。

 

 ある大名に売り込みに行った折、跳躍の術を見せたところ、着地地点に槍の穂がいくつか埋められていること気付き、空中で反転して元の上に戻った、というエピソードもある。いずれもが、段蔵の忍びとしての特徴を示したものだが、この段蔵が越後の龍・上杉謙信(うえすぎけんしん)、甲斐の虎・武田信玄(たけだしんげん)という戦国最強の大名2人に自らを売り込んだ。そして、見事にふたりを手玉に取ったという話が残る。

 

 先ず、越後・春日山(かすがやま)城下に姿を現した段蔵は、自己PRのために城下で幻術を見せた。ここで評判になれば、必ず謙信に取り入ることが出来る、という目論見だった。段蔵が城下で見せたのは「牛1匹を丸ごと呑み込む」という1世1代の大技であった。牛の上に乗った段蔵が徐々に大きな牛を呑み込んでいくと、見物から感嘆の声が上がった。ところが術の半ばで、少し離れた木に上って眺めていた町民の1人が「何だ、牛を呑み込んでいおるんじゃなく、ただ牛に跨(またが)っているだけじゃないか」と見破ってしまった。この術は、眺める角度によって牛を飲むようにも跨るようにも見える手品のようなものであった。怒った段蔵は、傍らに咲く雑草の花を脇差しで斬り捨てた。すると、コロリと落ちた花は、木の上で段蔵の術を見破って笑った男の首であったという。

 

 この話を聞いた謙信が段蔵を城内に呼んだ。そして段蔵の得意な術を聞いて、謙信は重臣・直江山城守(直江兼続/なおえかねつぐ)の屋敷に密かに入り込んで愛用の長刀を盗み出すように命じた。段蔵は、訳もなく忍び込み、厳重な警戒網と凶暴な番犬を出し抜いて薙刀を盗み取り、ついでに下働きの少女までをさらった。この結果に、謙信は段蔵の有能さを認めつつも「将来、あのような者が寝返ったら我らの脅威になる」として殺すように命じた。だが、いち早く謙信の決意と動きを知った段蔵は、越後から姿を消した。

 

 次に甲斐の甲府城下に現れた段蔵は、春日山城内の情報を伝えることで武田信玄に謁見した。いくつかの術を試した信玄も謙信同様に「この物は危険だ」と判断し、武田家の透波(すっぱ/忍び)に殺すように命じた。段蔵は信玄秘蔵の『古今和歌集』を盗んで逃亡したが、追手の透波によって殺された、という。

 

 飛び加藤・段蔵は、あまりに起用で有能すぎて、持っている術を十分に活かせないまま非業の死を遂げたのである。

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江宮 隆之えみや たかゆき

1948年生まれ、山梨県出身。中央大学法学部卒業後、山梨日日新聞入社。編制局長・論説委員長などを経て歴史作家として活躍。1989年『経清記』(新人物往来社)で第13回歴史文学賞、1995年『白磁の人』(河出書房新社)で第8回中村星湖文学賞を受賞。著書には『7人の主君を渡り歩いた男藤堂高虎という生き方』(KADOKAWA)、『昭和まで生きた「最後のお殿様」浅野長勲』(パンダ・パブリッシング)など多数ある。

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