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大谷吉継を決断させた石田三成の「評価」

武将に学ぶ「しくじり」と「教訓」 第10回

東軍有利を予想していた大谷吉継の決断

岐阜県関ヶ原町にある大谷吉継の墓。その脇には、吉継の側近として関ヶ原合戦で戦った湯淺五助の墓が建っている。

 大谷吉継(おおたによしつぐ)といえば、豊臣秀吉から高い能力を期待されつつも病に冒され、その実力を発揮できないまま、関ヶ原の戦いで戦死した悲運な武将のイメージが強いと思います。

 

 一般的には、秀吉への恩義と、石田三成(いしだみつなり)との友情を理由に、当初から西軍に加担しようとしていたと思われているかもしれません。

 

 しかし、実際は早くから徳川家康の実力や人間性を高く評価し、有事の際には家康を支持するような姿勢すら見せていました。関ヶ原の戦いにおいても家康有利と考え、挙兵を企(たくら)む三成を何度も諫(いさ)めたと言われています。

 

 それでも最終的には、三成の求めに応じ西軍に身を投じて、関ヶ原の戦いで奮戦し、自害する事になります。吉継が三成の誘いに応じたのは、恩義や友情のためではなく、自身への高い「評価」へ報いるためだったと思われます。

 

■「評価」とは

 

「評価」には辞書によると複数の意味があり、その一つに、物や人に対してその意義・価値を認める事とされています。つまり、その人の存在価値を認めるという事です。

 

 時代に関係なく、人間が組織に属している限り、他者から何かしら「評価」され続けます。そして、その「評価」によって権限や責任が増減し、昇進や昇給が決まる事が一般的です。そのため、多くの人は自分を高く評価してくれる組織や人物の下で、活動をしたいと考えるものだと思います。

 

 この心理は戦国時代であっても同様で、高い評価を求めて武士が出奔や寝返ることは日常茶飯事でした。例えば、関ヶ原の戦いでは、各諸侯は自家を高く評価し、恩賞を与えてくれる陣営に所属して戦いました。吉継も情勢を冷静に判断し、当初は家康に付き従おうとします。

 

 しかし、会津征伐に向かう途中、三成からの誘いに急遽応じます。これは、東軍と西軍での立場を比較しての決断だったように思います。

 

■豊臣秀吉からの高い評価

 

 吉継は、近江(おうみ)の六角家の旧臣大谷吉房(よしふさ)の嫡子だと言われていますが、出自については諸説あるようです。ただ、母は東殿と呼ばれ、秀吉の妻高台院の取次を担い、奥に控える有力者であった事は確かです。

 

 吉継は文官のイメージが強いですが、賤ヶ岳(しずがたけ)の戦いや紀州征伐では槍働(やりばたら)きで武功も上げています。

 

 秀吉が天下統一を進めていく中で、その計数の才を認められ、三成と同様に奉行衆としての役割が増えていきます。九州征伐や小田原征伐では兵站(へいたん)を担い、文禄(ぶんろく)の役では船奉行として長距離輸送の差配をするなど、大きな戦での後方支援を任されており、文官として高い能力を有していた事を示しています。

 

 また文禄の役では、諸侯への指導など行う軍艦を務め、明(みん)との外交交渉にも携わるなど、秀吉から高い信頼を受けていることが分かります。吉継は三成と共に活動する事も多く、三成が堺奉行となった時には配下として実務を担当するなど、二人は深い関係を築いていました。

 

 このように豊臣政権の中枢で活躍をしていましたが、病を発症すると重要な役割から外れていきます。

 

■病により実務から遠ざかった吉継の心中

 

 吉継の病気は、らい病や梅毒(ばいどく)だと思われがちですが、実際には明確な資料は残っていません。ただ、眼病を患(わずら)っていた事だけは確かなようです。本来は、三成や増田長盛(ましたながもり)と共に奉行衆に名を連ねるなど、秀吉からも高く評価されていました。

 

 また、100万の軍勢を采配させたい武将として秀吉が吉継の名を挙げたという逸話もあるように、内政だけでなく軍事においてもその才能を認められていたようです。ただ、この武将は蒲生氏郷(がもううじさと)だったとも言われています。

 

 しかし、秀吉死後の五奉行の中に吉継の名はありませんでした。病状が悪化して以降は、政権中枢とは少し距離が生まれていたようです。そのような状況下で起きた豊臣政権内での権力闘争において、吉継は家康の政治力を支持し、一介の武将として会津征伐への参加を決めます。家康を中心にした体制での再出発を考えていたのかもしれません。

 

 しかし、突如、三成から西軍に参加するよう勧誘されます。状況判断に優れていた吉継は再三に渡って三成を諫めますが、最後は西軍に参加する事を決断します。

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森岡 健司もりおか けんじ

1972年、大阪府生まれ。中小企業の販路開拓の支援などの仕事を経て、中小企業診断士の資格を取得。現代のビジネスフレームワークを使って、戦国武将を分析する「戦国SWOT®」ブログを2019年からスタート。著書に『SWOT分析による戦国武将の成功と失敗』(ビジネス教育出版社)。

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