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教科書っていつからあったの? ─教科書成立の歴史─

幕末~明治の偉人が生んだ制度・組織のはじまり⑭


日本の「教科書」の歴史をさかのぼると、遠く古代では宗教の教典などがその役割を担ってきた。しかし現在、使われている教科書はいつごろから採用され出し、制度が固まってきたのだろうか?


 

■江戸時代から識字率が高かった!優れた日本の教育現場

 

寺子屋
子供たちに文字の読み・書き、場所によってはそろばんを教えた。この寺子屋が江戸時代の人々の高い識字率を支えたという。(「文学万代の宝」/東京都立中央図書館蔵)

 

 幕末維新期に来日した欧米人は一様に、日本人の識字率の高さに驚きを禁じえなかった。

 

 多少の地域差はありながら、高いところではほぼ100パーセント、低いところでも60パーセントには達していたから、他の東アジア諸国との差は歴然としていた。

 

 子供でも多少の読み書きと算盤ができる。当時の国際的なレベルからして驚異的な数字を出せた秘密は寺子屋の存在にある。

 

 主に浪人たちが、農民の子弟を相手に格安の報酬で、読み書算盤の初歩を教えていたからで、読み書きの手本には「古状揃」や「往来物」などと呼ばれる手紙形式の文例集が用いられた。

 

 これを修得できたら、実語教や童子教といった道徳の実例集を学び、これをも修得したら、いよいよ儒学の基本経典である四書五経へと進んだ。

 

寺子屋で使われた教科書
基礎的な教養や習字の習得のために寺子屋でよく使われていたのがこの『庭訓往来』。庶民のための教科書として最も普及したといわれている。(東京都立中央図書館蔵)

 

 明治時代を迎えると、教育も刷新しなければというので、明治5年(1872)公布の学制に基づき、まずは全国を5万3760の小学区に分け、それぞれに一校を設置することとしたが、国家財政窮迫の折、経費を市町村の自弁としたのがまずく、ほとんど効果を挙げることはなかった。

 

 明治12年に公布された教育令により学制は廃止され、小学校の修学年限は学制では8か年であったものを4か年に短縮。農作業の手伝いも必要というので、実際の修学義務は4か年のうち16か月以上ならば良しとされた。

 

 学制が公布されたときもそうだが、教科書の選択は教師に一任された。十分な予算をまわせない代わり、口出しもあまりしない。初等教育の事始めは、結果さえよければ問題なしとする自由な空気に溢れていた。

 

 そのため教科書として利用されたものも、江戸時代以来の「往来物」でなければ、欧米の教科書を翻訳したものや欧米の文化・科学を紹介した啓蒙書などだった。

 

 主要教科は修身・読書・作文・習字・算術・体操の6つだが、ここにある「修身」とは道徳教育のこと。学制では6教科中で第6位と、優先順位では最下位に置かれたが、自由民権運動が盛んになると、それが学校教育に波及することを恐れた政府が明治3年の教育令改正によって修身を首位教科とし、儒学色にどっぷり浸かった教科書を編纂。小学校と教師から修身教科書を選ぶ権利を奪い、のちの教科書検定制の道を開いた。

 

国定教科書
明治に入り日本は近代化が進んだ。そのなかで教育分野でも大きな発展を遂げ、明治36年(1903)4月、小学校令の改正により、教科書の国定制度がはじまった。(「尋常小學國語讀本 卷1」/国立国会図書館蔵)

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島崎 晋しまざき すすむ

1963年東京生まれ。立教大学文学部史学科卒業。旅行代理店勤務、歴史雑誌の編集を経て、現在、歴史作家として幅広く活躍中。主な著書に『歴史を操った魔性の女たち』(廣済堂出版)、『眠れなくなるほど面白い 図解 孫子の兵法』(日本文芸社)、『仕事に効く! 繰り返す世界史』(総合法令出版)、『ざんねんな日本史』(小学館新書)、『覇権の歴史を見れば、世界がわかる』(ウェッジ)など多数。

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