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国の近代化・革新をも背負った「日本のホテル」のはじまり

幕末~明治の偉人が生んだ制度・組織のはじまり⑩


コロナ流行で旅行もなかなかできない昨今。ホテルに泊まることがなつかしくも待ち遠しくもある。日本には古来、旅館などはあったものの、ホテルが生まれたのは外国人が日本にやってきてからのこと。そのはじまりの歴史はただのサービス業としてではなく外交や近代化にもかかわっていたという。


 

■欧米列強との対等な関係を築くために誕生した「日本の迎賓館」としてホテル

 

横浜ホテルが建てられ、当時横浜外国人居留地だった現・馬車道。

 

 日本の宿泊施設の代表格と言えば、旅館とホテルが双璧だろう。近年は両者の違いが減りつつあるが、基本的には施設の構造及び設備が洋式か和式かによって分けられる。畳の上に布団を敷くのが和式、床の上にベッドのあるのが洋式、つまり前者が旅館、後者がホテルとなる。

 

 大方の人が想像するように、日本におけるホテルの歴史は外国人がたくさん日本へ来るようになった幕末に始まる。

 

 最初のホテルが築かれた場所は、外国船の受け入れを始めて間もない横浜だった。創業者はオランダ船の元船長フフナーゲルで、時は万延一年(1860)、その名を「横浜ホテル(ヨコハマ・ホテル)」という。

 

 それまで横浜に来航した外国人は、夜は船内に戻るか、民家を借りるしかなかったが、生活習慣の違いから、やはり畳の上に布団では寝心地がよくない。

 

 おそらくフフナーゲルは外国人からあがる不平不満を耳にして、これは商売として成り立つと閃いたのだろう。善は急げと、フフナーゲルは本国から設計士や職人、石材などを取り寄せる時間を惜しみ、人出は日本人の大工とおそらくオランダ人船員、材料は木材を主にして工事を進めさせ、横浜開港からわずか半年後、西洋風のバーや食堂、コーヒールームなどを付設した「横浜ホテル」の開業にこぎつけた。フフナーゲルが」船長を務めていた船「ナッソウ号」にちなみ、当時の日本人はホテルのことを「ナツシヨウ住家」と呼んだという。

 

 これに少し遅れて、幕府の要請により着工された「築地ホテル」が明治2年(1868)になって完成した。

 

築地ホテル
設計にかかわった清水組(現・清水建設)の2代・清水喜助は、工事だけでなく経営も引き受けることとなった。(『東都築地ホテル館之図』国立国会図書館蔵)

 

 場所は築地鉄砲洲の幕府海軍操練所の跡地。設計に当たったのは、新橋・横浜間の鉄道と駅舎の設計を務めることにもなるアメリカ人建築家のブリジェンスと、疑洋風建築と呼ばれる折衷様式を編み出した二代目・清水喜助(しみずきすけ)。

 

 木造、瓦屋根の二階建てながら、外装は瓦と漆喰からなる生子壁、内壁は漆喰塗、木部にはペンキを塗るなど、ブリジェンスと喜助は入手しえた材料だけで、何とか洋風と呼びうる建物を築き上げた。

 

 しかし、木造建築は火災に遭えばひとたまりもなく、「横浜ホテル」も「築地ホテル」も開業から数年で、脆くも焼け落ちてしまった。

 

 多少でも火災への耐性を持たせるには石造建築をするほかないが、時の外務大臣、井上馨(いのうえかおる)はそれを「日本の迎賓館」にしたいとの思いから、中途半端なものを建てる気はなく、渋沢栄一や大倉喜八郎らとよく協議を重ねたうえで、明治22年(1887)に日本で初となるレンガ造りのホテル建設をスタートさせた。

 

明治期の「帝国ホテル」
近代国家を目指した日本の「迎賓館」の役割を担った。発起人のひとりである渋沢栄一は「ホテルは一国の経済にも関係する重要な事柄」と述べている。(国立国会図書館蔵)

 

 総建坪1300余坪、ドイツのネオ・ルネサンス式木骨レンガ造り三層からなるホテルが開業したのは、明治23113日のこと。その名も「帝国ホテル」。現在も東京屈指の高級ホテルとして知られるそれである。明治人の気骨が込められた傑作であり、歴代の経営者やスタッフにもその精神が受け継がれ、大小数多くの宿泊施設があるなか、日本で最初にランドリーサービスを導入したのも、日本で最初に滞在しながら買い物ができるアーケードが設けられたのも、この「帝国ホテル」だった。

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島崎 晋しまざき すすむ

1963年東京生まれ。立教大学文学部史学科卒業。旅行代理店勤務、歴史雑誌の編集を経て、現在、歴史作家として幅広く活躍中。主な著書に『歴史を操った魔性の女たち』(廣済堂出版)、『眠れなくなるほど面白い 図解 孫子の兵法』(日本文芸社)、『仕事に効く! 繰り返す世界史』(総合法令出版)、『ざんねんな日本史』(小学館新書)、『覇権の歴史を見れば、世界がわかる』(ウェッジ)など多数。

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