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今や世界でも人気を集める「日本の制服」はいつから着始められたのか?

幕末~明治の偉人が生んだ制度・組織のはじまり⑬


日本のアニメ文化やコスプレ文化は今や世界でも人気を集め、そこに登場する「制服」という文化も注目を浴びている。もともと西洋から入ってきた「制服」文化だが、日本ではいつごろから着用されはじめ、どのように浸透していったのだろうか?


 

■日本の近代化とともに発展した「制服」

 

竹取物語
飛鳥時代~奈良時代とされる公家の家であろう場所の様子が描かれている『竹取物語』。使いの者たちは現在の制服と同様、みな同じ服装をしている。(国立国会図書館蔵)

 

 日本の制服の歴史は長い。奈良時代に制定された律令にはすでに礼服・朝服・制服の3種からなる衣服令が定められていた。

 

 このうち礼服と朝服は庶民に縁のないものだったが、「制服」は一般庶民が公務に従事する際に貸与された衣装なので、日本の元祖制服と呼んでいいだろう。

 

 ただし、洋装の制服となると、その登場は明治維新まで待たねばならない。

 

 幕末に相次いで生まれた洋式軍隊は洋装軍服の元祖と言えそうだが、実のところ全員には行き渡らなかった。

 

 幕府側の新選組こそ元祖との声も聞こえそうだが、浅黄色で袖に白い山形の模様のあれは汚れが目立ち、洗濯して乾かすにも手間がかかったことから、ほとんどの隊員は返り血を浴びても目立たず、夜陰に紛れることも容易な全身黒づくめでまとめていた。黒っぽければ何でもよかったから、これは制服には当たらない。

 

新選組副長・土方歳三像
だんだら模様の羽織で知られる新選組だが、実際は黒づくめの装いで活動していたという。

 

土方は幕末において、はやくに西洋式軍服を着用した人物であった。

 

 そうなると、日本における洋装制服の始まりは同じく軍服でも明治政府のもので、明治3年(1870)、陸軍軍服にフランス式(のちドイツ式に変更)、海軍軍服にイギリス式が採用されたのを嚆矢とする。この選択は機能性がどうこうというより、教官をどの国から招聘するかに付随していた。

 

 制服には、時代の変革を示す視覚的効果も期待されたこから、明治政府は軍隊に限らず、その他の業種でも続々と洋装制服の導入を決めた。

 

日清戦争で話し合う日本軍首脳陣
位によって、色が異なっているのだろうか。しかしながらみな同じ形式の軍服を着用し、視覚的な統一性をもたせている。(国立国会図書館蔵)

 

 明治4年には郵便夫と邏卒(警官)、その次の年には鉄道員の制服が定められる。公務員のなかでも、人びとと日常的に接することの多い職務から順に洋装化が図られたのである。

 

 学校制服で先陣を切ったのは公家や華族の師弟が通う学習院で、生徒間に服装を競い合う風潮が生じるなど、弊害が目立ち始めたことから、明治12年に制服が定められたと言う。

 

 女子生徒の制服に関しては、明治18年の東京師範学校女子部(現・お茶の水女子大学)が最初で、大正9年(1920)には京都の平安高等女学校(平安女学院)でセーラー服が導入された。

 

 しかし、鹿鳴館時代があっけなく終焉したように、国粋主義が頭をもたげてくるとともに、女子生徒の洋装を問題視する声も高まり、昭和を迎える頃には洋装の制服はすべて袴に改められ、終戦を迎えるまで、洋装好きは我慢をするしかなかった。

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島崎 晋しまざき すすむ

1963年東京生まれ。立教大学文学部史学科卒業。旅行代理店勤務、歴史雑誌の編集を経て、現在、歴史作家として幅広く活躍中。主な著書に『歴史を操った魔性の女たち』(廣済堂出版)、『眠れなくなるほど面白い 図解 孫子の兵法』(日本文芸社)、『仕事に効く! 繰り返す世界史』(総合法令出版)、『ざんねんな日本史』(小学館新書)、『覇権の歴史を見れば、世界がわかる』(ウェッジ)など多数。

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