【江戸の性語辞典】ある種の性器の特性を表した「水風呂に牛蒡(ごぼう)」
江戸時代の性語㉕
性語のなかには今も昔も様々な表現がある。江戸時代には現在でも「うまいこというなー」と思わせる呼び名で呼ばれていたという。
■水風呂に牛蒡(すいふろにごぼう)
水風呂は「すいふろ」と読み、湯につかる、現代の風呂のこと。「みずぶろ」ではない。
「すいふろ」は、蒸し風呂と区別するための呼び方である。
陰部がゆるいため、陰茎を挿入してもまったく快感が伴わないのを、風呂の中の牛蒡にたとえた。
「据え風呂桶(すえふろおけ)にて牛蒡(ごぼう)を洗う」ともいう。

【図】「水風呂に牛蒡」と思ったら……
『艶紫娯拾余帖』(歌川国貞、天保8年頃、国際日本文化研究センター蔵)
【用例】
①春本『逢夜鳫之声』(歌川豊国、文政五年)
情交を終えた男が、女の陰部を見ながらしみじみと評する。
「なるほど、ぼぼというものは恐ろしいものだ。俺がような大きなのはないと自慢でいたが、このように盛んになると、『水風呂で牛蒡』だ」
「ぼぼ」は、女性器のこと。自分の巨根ですら、女の陰部はゆるく感じられたと述懐している。
もちろん、男の側の言い分である。
②春本『艶史』(文政七年)
女が巨根の新公と情事を重ねているのを知って、男が言う。
「そりゃあ、てめえはうれしがるだろうが、あとをする者が迷惑だ。だんだんぼぼが広くなってみろ、新公とするときばっかり本当に気をやって、あとの者がするときには、『据え風呂桶を楊枝で洗う』ようなもんだ」
男は牛蒡ではなく楊枝と言っている。もちろん、牛蒡より楊枝の方がはるかに細く小さい。
③春本『春情妓談水揚帳』(歌川国貞、天保七年)
年増の女中のお仙は、丁稚の長吉を誘惑する。
二、三十、突くや突かず、どくどくどくと情を洩らし、まだそのあとを保つべき筋骨のかたまらねば、ぐたぐたとして用たたず。据え風呂桶で牛蒡をそそぐと、世のことわざに言うが如く、さなきだにお仙の開(もの)には、いとこと足らず思うが上……
長吉はあっけなく射精してしまい、その後はなかなか回復しない。お仙は小さいままの長吉の陰茎を「据え風呂桶に牛蒡」と評している。
女の側からの不満であろう。
④春本『艶紫娯拾余帖』(歌川国貞、天保8年頃)
年増女に手を出した男。最初は、どうせゆるいだろうと思っていた。
「下世話に申すことわざに、据え風呂桶にて牛蒡を洗うということを、かねてとくより知りたるゆえ、両足を開かせず、惜しげもなく大腰に使いたるに、思いのほかの蛸つびにて、吸い付いて抜き差しがならぬわえ」
年増は意外や、名器の「蛸つび」だったのである。
図は、男が年増女の意外な名器に感激しているところ。
⑤春本『花相撲四十八手』(歌川国麿、嘉永元年頃)
男根が大きいのが自慢の男が、女の陰部がゆるいのを評して言う。
「俺の物でさえ、ちっとこするとゆるくなるから、十人並みのへのこじゃあ、それこそ水風呂牛蒡だろう」
巨根の自分ですら、ゆるく感じるのだから、普通の男の男根では「水風呂に牛蒡」だろうよと、うそぶいている。
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