【江戸の性語辞典】 道徳上許されない性的関係「畜生道(ちくしょうどう)」
江戸時代の性語⑳
法に触れなくても、モラル的に反する男女関係は現在でも厳しい目線にさらされる。もっともである。江戸時代にもそのような”危うい”性行為は存在し、それらの行為や関係を「畜生道」という言葉で表現したという。ここではその言葉の使い方、用例を紹介する。
■畜生道(ちくしょうどう)
人倫(人間の秩序)上、容認しがたい間柄の性行為。近親相姦をさすことが多い。

(図)息子と母親(父の後妻)の畜生道。
『男女寿賀多』(歌川国虎、文政9年/国際日本文化研究センター蔵)
【用例】
①戯作『傾城禁短気』(江島其磧著、宝永八年)
馴染んだ遊女が、じつは自分の妹だったことを知った男の、悔恨の言葉である。
「もはや、生きてはいられぬは。いかに知らねばとて、現在の妹に契を結び、……(中略)……畜生同然の所業」
遊女は幼いころ、親から妓楼に売られた者が多かった。そのため、客を取るようになった時には、親兄弟のことはほとんど覚えていない。
兄の方でも、幼いころに別れ、今は遊女になっている女を見ても、妹とわかるはずがない。
遊女と客の男が、知らずに畜生道の関係になることは、充分にあり得た。
②春本『祝言色女男思』(歌川国虎、文政八年)
亭主が、女房の妹と通じていた。感づいた女房が現場に乗り込んできて、怒りを爆発させる。
「やかましい、黙んなせえ。ほんに、私の妹なら、おめえのためにも妹だ。きょうだいでそんなことをして、畜生のようだぞ」
男にとっては義妹、女にとっては義兄である。
③戯作『いろは文庫』(為永春水著、天保七年)
杉谷家の養子となった半之丞が、養母のお艶に誘惑される場面である。
艶「ええ、うれしい、そのようなら、おまえも、このわたしを」
トすがりつかんとするところを、半之丞は飛びしさり、
半「さあ、何の因果か、私もあなたも、その気が合うというは、畜生道へ堕落した宿業にてもあろうかと」
艶「いいえ、おまえがその気なら、畜生道へ生きながら落ちていこうと、苦しみがこの身ひとつにかかろうとも、ちっともいとわぬわたしが心。どうぞ、かなえておくれなねえ」
半之丞は養子だから、お艶は母と言っても、血のつながりはない。
現代では、半之丞とお艶が性的関係になっても、近親相姦ではない。もちろん、刑法で罰せられることもない。
しかし、江戸時代においては醜悪な畜生道であり、許しがたい密通だった。
江戸幕府の法典である『御定書百箇条』の「密通御仕置之事』によれば、
「男が養母と密通すれば、両者とも獄門」という厳刑に処された。
ところが、あまりにきびいしいため、人々はかえって奉行所に訴えるのをためらった。世間の評判になるのも困る。
けっきょく、別な理由をつけて妻も養子も離縁し、醜聞そのものは表沙汰にしないのが一般的だった。かくして、畜生道はほとんど隠蔽された。
④歌舞伎『三人吉三廓初買』(河竹黙阿弥作、安政七年初演)
若い恋人同士について、男が述懐する。
「可哀や、奥のふたりは知らずにいるが、双子の兄妹(きょうだい)。……(中略)……めぐりめぐって兄妹同士、枕を交わして畜生の交わりなすも己が因果」
当時、双子は忌むべきものだったため、どちらかを里子に出したり、捨て子にしたりした。
そのため、成人して出会った男女が、おたがい兄妹と知らないことは充分にあり得た。
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