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ティーガーI[独軍]vs.KV(カーヴェー)[ソ軍]<重戦車対決>【独ソ兵器対決】

独ソ戦で戦った戦車から拳銃まで ~その評価は~ 第5回


独ソ戦では攻撃力、防御力、希望力にすぐれた優秀な戦車が多数出現した。今回は独ソ両軍が開発した重戦車をとりあげ、その性能、戦歴を徹底比較!


 

ティーガーIは、その登場した時期にも恵まれて「最強戦車」の名をほしいままにした。しかし大戦後期に至ってソ連側にT-34の火力強化型T-34/85やスターリン重戦車が登場すると、本車の優位もかすんでくることになる。

 ドイツ陸軍は第二次世界大戦勃発前、III号戦車とIV号戦車という「主力戦車と支援戦車」のコンビの上位に、より強力な突破重戦車を配することを考えていた。そこで1937年初頭、ヘンシェル社にDW1重戦車の試作を発注。ちなみにDWとはドイツ語のDurchwagen、つまり突破車の頭文字であり、1号突破重戦車ということである。そしてDW1の完成前にDW2の試作も進められたが、これらが進化発展してティーガーIの原点となった。

 

 つまりドイツ軍の重戦車としてあまりに有名なティーガーIは、独ソ戦開戦後に起こった「T-34ショック」よりも先に計画され、開発された戦車であった。当時としては分厚い装甲に、高射砲から発達した装甲貫徹力に優れる8.8cm砲を備え、出現当初は無敵とされた強力な重戦車である。

 

 一方、KV(「カーヴェー」と読む)は1939年に登場したソ連の重戦車で、重装甲にT-34/76戦車と同じ76.2mm戦車砲、または152mm榴弾砲を搭載した(これはKV-2)型があり、独ソ戦開戦時に起きた「T-34ショック」と同様に「KVショック」をドイツ軍に引き起こした。同車の重装甲は、T-34以上に当時のドイツ軍の戦車砲や対戦車砲では貫徹困難で、8.8cm高射砲の水平射撃でやっと撃破できるほどだったからだ。

 

 しかも8.8cm砲弾数発に貫徹されてもKVの乗員は生存しており、ドイツ軍側が撃破したものと思って安心していると、車内に残った負傷した乗員が、個人装備の拳銃や短機関銃で反撃してくることも稀ではなかった。

 

 ところが、ティーガーIの登場で状況は一変する。同車の8.8cm戦車砲で撃たれると、さすがのKVも重装甲をたやすく貫かれてしまうのだ。

 

 その一方、KV76.2mm戦車砲では、背後から至近距離で撃たない限りティーガーIの撃破は難しかった。とはいえ、稀には車長キューポラへの命中弾や砲塔リング部への命中弾によって、一時的に戦闘能力を奪うこともあったようだ。

 

 また、KV-2152mm榴弾砲は、口径こそ大きいものの発射速度も砲弾の初速も遅いので、ごく至近距離でティーガーIに撃ち込めるという幸運でもない限り、撃破は困難だった。それも一時的に戦闘能力を奪うのが関の山で、修理すれば戦線に復帰できる程度の損傷しか与えられなかった。

 

 かような次第で、ティーガーIにはまるでかたなしのKVだったが、パンター中戦車が登場する前のIV号戦車以下のドイツ戦車にとっては、やはりKVは危険きわまりない強敵だった。

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白石 光しらいし ひかる

1969年、東京都生まれ。戦車、航空機、艦船などの兵器をはじめ、戦術、作戦に関する造詣も深い。主な著書に『図解マスター・戦車』(学研パブリック)、『真珠湾奇襲1941.12.8』(大日本絵画)など。

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