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MP38/40[独軍]vs.PPSh41[ソ軍]<サブマシンガン>【独ソ兵器対決】

独ソ戦で戦った戦車から拳銃まで ~その評価は~ 第4回


独ソ戦では両軍で多くのサブマシンガンが使用された。今回はMP38/40(ドイツ軍)とPPSh41(ソ連軍)を取り上げ、開発史、性能、実戦での活躍を解き明かす。


スターリングラードの戦いで鹵獲したPPSh41を使用中のドイツ軍兵士。ソ連兵が本銃をスリングによって首からぶら下げている様子とその軽快な連射音にちなんで、ドイツ軍将兵は「バラライカ」のあだ名で呼び、シベリアに抑留された日本人は、バラライカを知らない者が多かったので、同様の理由から「マンドリン」と呼んだ。

 第一次世界大戦末期、ドイツは世界で初めて実用型のサブマシンガン(日本語では「短機関銃」または「機関短銃」)であるMP18を開発・量産して実戦に投入した歴史を有する。だが同大戦に敗北すると、戦後処理のヴェルサイユ条約によってサブマシンガンの開発と所持を厳しく制限されてしまった。

 

 しかしドイツ陸軍は、前大戦で高い実用性を発揮したサブマシンガンを重視しており、1935年に国家元首・ヒトラーがドイツの再軍備を宣言すると、早速に新しい軍用サブマシンガンの開発が行われた。

 

 幸いにもドイツは、現在でも世界中で用いられている優秀な拳銃弾の9mmパラベラム弾を1901年に開発しており、この新サブマシンガンにも同弾が使用されることになった。開発はエルマ・ベルケ社で行われ、1938年にMP38として制式化。さらに1940年には、小改良や原材料の一部を変更したMP40も制式化され、両銃を合わせてMP38/40と称された。

 

 MP38/40は、既述のごとくエルマ・ベルケ社で開発されたが、シュマイザーの接頭辞を付けてシュマイザーMP38/40と称されることもある。このヒューゴ・シュマイザーなる人物はかつてのMP18の設計者で、イギリス諜報機関がMP38/40の情報を探った際、同銃の設計に彼がかかわっているという勘違いをした結果、それが報告書に記載されて「シュマイザー」という誤った名称が広まってしまったのだった。

 

 毎分発射速度約500発で32連箱型弾倉を使用するMP38/40は、乗車中の射撃を考慮して銃身下部に車両のフレームに乗せて安定させるためのマウントが設けられており、信頼性が高く手入れ不良にも強い名銃だった。そのため、ソ連軍将兵も同銃をこぞって鹵獲使用した。

 

 一方、PPSh41は、ソ連の銃器設計技師ゲオルギー・シュパーギンが1940年に試作銃を完成させ、1941年に制式化された。かつてドイツで開発された7.63mモーゼル弾とほぼ同一の7.62mmトカレフ弾を使用するが、両弾の間には互換性がある。その理由は、帝政ロシア時代にドイツのモーゼル大型拳銃が軍用として多数輸入され、同銃に使用する7.63mモーゼル弾をロシアで国産化したが、それが7.62mmトカレフ弾の起源だからだ。

 

 全金属製のMP38/40とは異なり、PPSh41は生産に手間がかかる木製銃床を備えているが、構造はシンプルでMP38/40に負けず劣らずの高い信頼性があった。

 

 PPSh41は、毎分発射速度約900発で71連ドラム型弾倉(他に35連箱型弾倉もあり)を使用。手入れ不足の状態でも極寒の環境でも問題なく作動する堅牢性を備えており、MP38/40のケースとは逆に、ドイツ軍将兵は同銃を鹵獲(ろかく)すると好んで使用した。

 

 このように、ドイツとソ連それぞれ敵方の将兵が好んで使用したMP38/40PPSh41は、戦後も長らく両国の同盟諸国などで使用が続けられ、ともに高い評価を与えられている。

 

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白石 光しらいし ひかる

1969年、東京都生まれ。戦車、航空機、艦船などの兵器をはじめ、戦術、作戦に関する造詣も深い。主な著書に『図解マスター・戦車』(学研パブリック)、『真珠湾奇襲1941.12.8』(大日本絵画)など。

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