IV号戦車短砲身型[独軍]vs.T34/76[ソ軍]【独ソ兵器対決】
独ソ戦で戦った戦車から拳銃まで ~その評価は~ 第1回
第2次大戦でもっとも激しい地上戦が繰り広げられた独ソ戦。戦いの中で活躍した両国の兵器を取り上げ、その性能、戦歴を比較検証していく。

T34/76の試作車。同時代の他国の戦車に比べて傾斜面が多い美しい外観をしている。だが、ご覧の通り被弾確率を下げるために砲塔が小さく設計されており、砲塔に乗る乗員が2名に限られたことが、実戦下では大きな弱点となった。
1941年6月、ドイツ軍は自慢のパンツァートルッペン(装甲部隊)を先頭に立ててソ連への侵攻を開始した。当時の同軍は、2cm機関砲搭載のII号戦車、短砲身5cm砲搭載のIII号戦車、短砲身7.5cm砲搭載のIV号戦車、3.7cm砲搭載のチェコ製38(t)戦車を装備していた。
順調にソ連領内を進撃するドイツ軍の前に、やがてソ連軍戦車部隊が立ちはだかった。主力のT26やBT7に、ひときわスマートな戦車も混じっていたが、これがT34/76であった。長砲身で高威力の76.2mm砲を搭載し、車体各部には、避弾経始と称される敵弾を滑らせるための傾斜が付けられ、優れたディーゼル・エンジンを搭載して、走行性能も秀でていた。
特に2cm機関砲や3.7cm砲では撃破不能で、かろうじて砲塔と車体の結合部(ターレット・リング)や、車体前面操縦手席ハッチの隙間などを狙い撃ちした場合に限って、戦闘能力を奪って後退させることができ、短砲身5cm砲と短砲身7.5cm砲ならば、比較的近距離から車体側面や車体後部、砲塔側面や後部などに命中弾を与えれば、撃破することができた。
ドイツ軍は、まさかこのような高性能の戦車をソ連軍が装備しているとは思わず、「T34ショック」と称される危機感を抱き、後のドイツにおける戦車や対戦車兵器の開発に大きな影響を及ぼすことになる。
だが、実際にT34/76が本当にそれほどドイツ軍戦車の脅威だったのかといえば、確かに機械的・性能的に優れているのは事実だが、マンパワーが影響する運用面が圧倒的に劣っていた。そこでこの点を突いて、ドイツ軍は、性能で劣る自軍戦車を運用でカバーしてT34/76を仕留めることができた。それに、この運用にかかわる装備に問題がある点も、T34/76の弱点となり、ドイツ軍につけいられる原因となった。
具体的には、T34/76には操縦手、車体銃手、車長兼砲手、装填手の4名が乗っていたが、ドイツ戦車では、チェコ製の38(t)ですら、あとから砲塔に1席を足して車長を独立させ4人乗りから5人乗りに改造したほど、車長の独立性を重視していた。その理由は、戦闘状況下に戦場や敵の様子を正確に把握して戦い方の指示に専念する人間がいないと、視界が悪く車内での意思疎通も難しい戦車では、効率的な戦い方ができないという事実を、戦前の演習や実験によって検証済みだったからだ。
また、T34/76に限らず独ソ戦初期のソ連製戦車のペリスコープは技術的問題のせいで透明度が悪く、それが、ただでさえ劣悪な戦車の視野をさらに悪化させていた。加えて、戦車用無線機が中隊長車から小隊長車のレベルまでしか搭載されておらず、それですら低品質と乗員の操作練度不足のせいで故障が多く、戦車個車同士の連絡ができないせいで、ドイツ戦車に比べて連携戦闘はほとんど不可能であった。
このような理由により、確かにドイツ軍は「T34ショック」という技術上の脅威こそ受けたものの、独ソ戦初期の練度の高いドイツ軍戦車兵は、T34/76が内包したこれらの欠点を突いて、短砲身7.5cm砲搭載のIV号戦車なら互角以上の戦いぶりを示した。
とはいえ、やはりII号戦車や38(t)戦車では、火力不足のためT34/76との交戦時にはひどい苦戦を強いられたのは事実である。