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トカレフTT-30/33[ソ軍]vs.ワルサーP-38[独軍]【独ソ兵器対決】

独ソ戦で戦った戦車から拳銃まで ~その評価は~ 第2回


数ある軍用拳銃の中でも、トカレフとワルサーP-38は、現在でも通用する実用的な小火器である。対極とも言えるその設計思想、メカニズムを解き明かす。


トカレフTT-33。現代のオートマチック拳銃に比べれば旧式の面もあるが、今でも十分に実用可能な性能と威力があるからこそ、小改良型が民需用としての生産が続けられている。

 

 第一次大戦後の1920年代、ソ連陸軍は各種兵器の近代化に取り組んだが、そのひとつに軍用拳銃があった。当時の主力は19世紀末採用のナガン・リボルバーだったが、生産工程が多く量産に向かず、当時、世界の軍用拳銃はオートマチックが主流となっていた。

 

 そこで銃器設計技師フョードル・トカレフは、「銃器界の鬼才」ことジョン・ブローニングが設計したコルトM1911をベースに、生産工程を極力省略した軍用拳銃を1929年に完成させた。同銃はトカレフTT-30として制式化され、次いで小改良型のTT-33となったが、特異的な特徴を備えていた。

 

 それは、原型のM1911が備えるサム・セーフティーとグリップ・セーフティーというふたつの安全装置を撤去し、まったく安全装置がない設計とされたことだ。唯一の安全装置的なものは、ハンマーをハーフコックにすることだが、これでは薬室に弾薬を装填(そうてん)した状態での安全な携行は不可能で、トカレフを安全に持ち運ぶには、薬室の弾薬を装填しないことが一番良い方法であった。

 

 見方によっては物騒きわまりない拳銃だが、安全装置を省くことで、大幅な部品点数削減と生産性向上がはたせた。それにソ連軍の教範では、薬室に弾薬を装填して拳銃を携行しないことにされていたため、安全装置がなくても問題なかったのだ。

 

 このようにトカレフは、部品数が少ないので生産が容易で故障しにくく構造も単純で、厳しい自然環境下や手入れ不足の状態でも確実に作動するという、軍用拳銃にとって必須の条件を備えていた。そのため第二次大戦後は旧共産圏の各国でライセンス生産され、日本でも中国製トカレフが犯罪に使用されて話題となった。

 

 一方、第一次大戦に敗れたドイツは、ヴェルサイユ条約により9mm級以上の軍用拳銃の生産を禁止された。しかしワルサー社は、民需用拳銃を装って新しい軍用自動拳銃の開発に着手。前大戦直前にドイツが開発し世界的に高く評価されていた9mmパラベラム弾を使用する、ダブルアクション機構を備えた軍用拳銃を開発。1938年にワルサーP-38として制式化された。

 

 ダブルアクション機構とは、ハンマーをハーフコックにした状態でも、サム・セーフティーを解除して引金を強く引くとハンマーが作動して発射できる機構のことで、これのおかげでP-38は、薬室に弾薬を装填したまま安全に携行できた。つまり、トカレフとは真逆の発想で開発された機構といえる。

 

 このように優れた機構が組み込まれていたため、P-38は戦後も生産が継続され、旧西ドイツ軍にP-1として制式採用された。

 

 第二次大戦中、東部戦線の極寒の自然環境下では、やはりトカレフのほうが信頼性が高かったが、そのような特別な自然環境下でない限り、P-38も優れた性能を発揮した。

 

 東のトカレフと西のP-38、究極の単純化を狙った前者と工作精度の高さに裏打ちされた緻密な設計が行われた後者。両極端の性格を備えた軍用拳銃が共に戦後も通用したのは、軍用拳銃という兵器に求められるニーズもまた両極端であることを示した、まことに興味深い結果といえそうだ。

 

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白石 光しらいし ひかる

1969年、東京都生まれ。戦車、航空機、艦船などの兵器をはじめ、戦術、作戦に関する造詣も深い。主な著書に『図解マスター・戦車』(学研パブリック)、『真珠湾奇襲1941.12.8』(大日本絵画)など。

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